内容説明
昨春、この世を去った著者の最新作は、死から始まる生の考察。釈迦、ヘーゲル、一休など、古今東西の思索者たちは死をいかに考え、どのような言葉で語ったか。著者ならではの、意表をつく「人生相談」も冴え渡る。生と死の両極に奔出する言葉が語る、人生の味わい。著者が温め続けた未発表原稿、ついに刊行。
目次
プロローグ 考える人生
第1章 死を問う人々―語り、騙り、物語る(仏陀;老子 ほか)
第2章 生を問う人々―池田晶子の人生相談(男性を本気で好きになったことがありません;お酒の席での失敗が多いんです ほか)
第3章 人生の味わい―モノローグ(言葉はそれ自体が価値である;究極の本質洞察 ほか)
エピローグ 無から始まる思索
著者等紹介
池田晶子[イケダアキコ]
1960年東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒。文筆家。専門用語による「哲学」ではなく、考えるとはどういうことかを日常の言葉で語る「哲学エッセイ」を確立して、多くの読者を得る。著作多数。とくに若い人々に、本質を考えることの切実さと面白さ、存在の謎としての生死の大切を語り続けた。2007年2月23日、没。その業績と意思を記念し、精神のリレーに捧ぐ「わたくし、つまりNobody賞」が創設された(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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里愛乍
46
「死んでからでも本は出る」彼女は確かにこの世とされる此処にはいない、らしい。〝らしい〟というのは私にとって何ら変わりはしないからである。ページをめくれば、生前と同じ彼女の言葉、言い回し。ああ相変わらず一貫している。この言葉こそが自分にとっての彼女であるならば、まさしく「さて死んだのは誰なのか」。「ない」とは「ある」とは「自分」とは「存在」とは。これが言葉遊びだというのならばそれでも結構。遊びだから真剣で真面目に本気で取り組める。仕事でも課題でもないのだから無理な結論なんて出さなくていいのである。2016/09/26
団塊シニア
46
「悲観も楽観もせずにいるのがいい、いいというのはそういう望みをもたないことが結局一番いいということ、あれこれ思い煩うから人間は不幸になっている」正しく価値のある言葉を書くことに価値があるという池田さんの言葉は哲学的エッセイとして心に響くものがあります。2015/03/13
SOHSA
33
《図書館本》久し振りに池田晶子著作を読んだ。やはり池田作品は明解だ。当たり前のことを当たり前だということの潔さ、快活さは読んでいて途方もなく心地よい。特に第1章の歴代の哲学者評は、それぞれの思想・哲学を端的かつ適切に表していて、こんなふうに言い切ってしまってもいいのかと却って心配になったりもする。第2章のQ&Aはちょっと中弛み感が残る。別にこれはなくてもよかったのではないか。第3章はエッセイ風でまた面白い。タイトルのとおり終始愉快な本だった。返す返すも著者の早逝が惜しまれる。2017/11/09
梅ちゃん
16
自分のアホさ加減に嫌気がさします。 読んでいて、内容が脳の中に入らずに、表面を滑ってこぼれ出てしまうような感覚です。情けない! もっと、考えなくては。2015/03/30
抹茶モナカ
15
いろんな哲学者の言葉から、解説風に思索を綴る1章は、哲学の素養がないため、読んでいてわかるものもあるけど、辛かった。池田さんの本を読む時は、哲学ではなく、哲学的エッセイを期待しているため、悪い言い方かもしれないけど、本質、本質と啖呵を切る池田節じゃないと、こちらも拍子抜けする。本当に考える、とは、とかの池田節じゃなくては、やはり、別に池田さんの本じゃなくて良い。2022/01/15