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知らなかったあなたへ―ハンセン病訴訟までの長い旅

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  • サイズ B6判/ページ数 142p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784591069349
  • NDC分類 498.6
  • Cコード C0095

出版社内容情報

元ハンセン病患者として様々な差別や偏見と闘いながら生きた自らの半生をたどりながら、“人間として生きる”ことの意味を鋭く問いかける。

目次

第1章 生きる意味を求めて
第2章 「癩予防法」を読んだ衝撃
第3章 「癩予防法」との闘い
第4章 日々の暮しの中で
第5章 少年時代のわすれられないできごと
第6章 新しい出発
第7章 人間の空へ

著者等紹介

谺雄二[コダマユウジ]
1932年東京都に生まれる。1939年ハンセン病発病。国立療養所多磨全生園(東京都東村山市)に入所。1951年多磨全生園より同じく国立療養所栗生楽泉園(群馬県吾妻郡)に転園。1962年詩集『鬼の顔』出版。1981年詩と写真『ライは長い旅だから』(詩・谺雄二/写真・趙根在)出版。1987年自らの少年時代を描いた自伝『わすれられた命の詩』(ポプラ社)出版。1999年原告として、東京地裁に「らい予防法人権侵害謝罪・国家賠償請求訴訟」を提訴。2001年「ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会(全原協)」発足。会長代理となる

成島香里[ナルシマカオリ]
山梨県に生まれる。上智大学文学部社会福祉学科卒業後、山梨日日新聞社入社。5年間の記者生活を経て、保健同人社に入り、高齢者のケア情報などを担当する。現在フリーライターとして、医療、福祉、介護をテーマに取材・執筆している
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Gotoran

44
若松著書で知り得た谺雄二氏。より詳しく知りたくて本書を。2001年6月15日から3日間に亘っての谺氏へのインタビューを纏め書籍化されたもの。7歳でハンセン病を患い、多磨全生園に入所するも、その後、群馬栗生園に移り、ハンセン病入所者の待遇改善、人権闘争、隔離政策の違憲性を訴え、人権回復を訴え続け、ハンセン病差別撤廃運後の先導者として生きた詩人谺雄二氏の半生が語られている。日本の負の歴史ではあるが、決して忘れてはならない。2018/08/08

よちよち

10
7歳でハンセン病を発症し、長い間隔離施設で暮らした谺雄二氏の人生をかけた戦いの記録である。ハンセン病が「国辱病」と言われたことや殺人獄舎とも呼ばれる患者刑務所があり、多くの人が獄死したことなどを初めて知った。裁判など時々のニュースには耳を傾けていたが、ここまで非人道的な行為があったとは衝撃である。「知らなかった」を恥じねばならない。2013/09/17

ミナ

8
タイトルに惹かれて手に取る。「大人になったら何になりたい?」などと聞いてもらえなかったハンセン病の子供たち。ハンセン病と診断されれば名前や故郷を奪われ、療養所から出られず隔離される。自分たちのことは作業として自分たちで行ってきた療養所生活。憲法に書いてあるから人権は守られるわけではない。結局は奪われ差別されている人たちが闘って勝ち取るしかないのだ。被害者の血のにじむ努力の末、問題が注目されなければ事態は動かず解決しないのは、今も同じ。皮肉すぎる。2019/02/12

Momoko Nishikawa

3
図書館本。先日行った、ハンセン氏病資料館の展示で、詩人の大江満雄氏をはじめて知った。この本の中にも彼に関する記述があった。「ハンセン氏病の患者自身が医者になれ」と患者の知る権利学ぶ権利を放棄するなと、エンパワメントする言葉が残っている。 草津温泉の旅館のおかみさんの「知ろうとしなかった」そのことを償いたい、という言葉、心打たれた。 この本は著者名が谺雄二となっているが、インタビューをまとめたものだ。ジャーナリストとしての彼女の思いも心にささった。 読み出すまでに時間がかかったが、手に取るとすぐに読めた。2023/05/22

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