健康の社会史―養生、衛生から健康増進へ

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  • サイズ B6判/ページ数 247,/高さ 20cm
  • 商品コード 9784588312106
  • NDC分類 498.021
  • Cコード C1021

内容説明

古代から近世までの“養生”とは本来、天より授けられた寿命を生き切り、死に切るためのものであった。「ほどほどの養生」により「ほどほどの健康」を得て、「ほどほどの生」を終えるのが理想であった。それが近代の富国強兵策と結びついた“衛生”思想を経て、現代の医療費削減を目的とした健康増進法(義務としての健康)にいたる間に、どのように変化してきたのか、貝原益軒の『養生訓』、後藤新平や森鴎外、北里柴三郎らを検討して、生命の尊厳、健康の意味と本質を問いなおす。

目次

第1章 生命の尊厳と養生
第2章 生き切り、死に切るための養生
第3章 後藤新平の衛生思想とその周縁
第4章 健康を監視する衛生社会
第5章 衛生警察に従事する巡査の苦労と苦悩
第6章 衛生の内面化に向けた健康教育
第7章 国民の義務としての健康

著者等紹介

新村拓[シンムラタク]
1946年静岡県生。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士(早大)。北里大学一般教育部教授。専攻、日本医療社会史。著書に、『古代医療官人制の研究』(1983年)、『日本医療社会史の研究』(85年)、『死と病と看護の社会史』(89年)、『老いと看取りの社会史』(91年)―以上の4書にてサントリー学芸賞を受賞(92年)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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Schuhschnabel

6
健康科学を勉強しているのに「健康」という言葉がしっくり来ていない自分にとってはよい処方箋となった。「健康」という翻訳語は、近世後期の蘭学者稲村三伯が蘭和辞典『波留麻和解』で用いたのが初出だとされている(pp.82-83)。フーコーが「生政治」とか言っているものを日本を例として具体化するとこのようになるのだろう。おそらく現在においても、「完璧な健康」を追い求める人々もいる一方で、「ほどほどの養生」を願う人々は一定数存在するはずである。そこら辺を調べたいなと思ったりもする。2017/06/24

メルセ・ひすい

3
8-03 赤11 良書 丁寧 ★健康と言う語の氾濫に往生しています。WHOの定義がありますが・・・ ??? ここにもある通り・養生・の表現が◎でしょう。実は、安保先生の信奉者であります。何とか健康食品は糾弾せよ!ほどほどの生を求めた「養生」の時代から、近代の富国強兵策とも結びついた「衛生」思想を経て、現代の義務としての「健康」の時代へ。その変化を政治・社会と関連付けて考察し、健康の意味と本質を問い直す。2010/03/01

Mealla0v0

2
経験知に基づく養生から文明知に基づく衛生へ。それは富国強兵のもとでの変容で、人体を資源として徴発する国民国家の形成と連動している。衛生には、ひとつには衛生警察による強制としての側面、公衆衛生の整備があり、もうひとつには学校教育における啓蒙活動を通じた個人衛生があり、ただしそれらは国家のもとで統合されていた。最後に、健康増進法についても触れているが、分量的にはおまけ程度。通史的に描き出す本書ではあるが、中心的な論題は戦前の衛生であり、個人的には後藤新平と森鴎外の衛生をめぐる言説の相違が重要であった。2020/08/31

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