- ホーム
- > 和書
- > 人文
- > 哲学・思想
- > 構造主義・ポスト構造主義
出版社内容情報
フーコー,アルトー,フロイト,バタイユ,レヴィ = ストロース等を論じ西欧哲学の〈脱構築〉を試みたデリダの,その思想の精髄を示す。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
またの名
14
なぜか一つだけ訳者解説で解説されてないフロイト論が私見では醍醐味。あくまでも科学的なエネルギー量概念によって心の機制を記述しようとしたフロイトがニューロン間に質の違いを想定するわけはなく、質の違いに見えるものは複数の量のあいだに時間間隔という差異を生じさせる差延の効果だと読み解く。先行するナマの現前と後続物の質的違いはその差異が生じたあとにのみ出てくるように、はじめに現前するような起源的テクストはそれ自体が事後的に再構成された複製にすぎないことの発見をフロイトに帰した、精神分析以上に精神分析に肉薄した書。2017/01/07
Ecriture
1
器官なき身体。もともとは言語。2009/10/09
ojisan
0
詩的な人ですね。2012/01/29
NICK
0
個人的にアルトー論がなかなか面白かった。文芸批評っぽいところがあったから取っつきやすかったというか。アルトーの演劇論から、エクリチュールとバロールをいつものデリダ節で脱構築していく。個人的には『声と現象』より『エクリチュールと差異』の方が入門に向いてる気がする。2010/08/17
いたま
0
下巻はフロイトやアルトー、バタイユに関する論述を行う。デリダが一連の論考に基づいて構想するのは、言語の伝達可能な形態にとどまりながら、いかにその言語自身を対象化できるのかということだろう。ひいては、西洋の固定的な思考法をどのように相対化できるかということになり、それがいわゆるポスト構造主義と言われるものだ。いずれの論考も決定的な解釈を提示することの不可能性を示しつつ、その起源としてのエクリチュール概念について語っている。結局私達はスタート地点に回帰するのだが、事象の一回性の重要さを表現するには見事な方法だ2021/03/05