叢書・ウニベルシタス
エクリチュールと差異 〈上〉

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  • サイズ B6判/ページ数 370p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784588000799
  • NDC分類 135.9
  • Cコード C1310

出版社内容情報

フーコー,アルトー,フロイト,バタイユ,レヴィ = ストロース等を論じ西欧哲学の〈脱構築〉を試みたデリダの,その思想の精髄を示す。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

またの名

15
他人の思考の粗を突くダメ出しスタイルは既に確立していながら、フーコーを攻撃しつつデカルトを、レヴィナスを批判的に検討しつつフッサールとハイデガーを擁護するなど古典的戦術で書いた論文集。狂気と理性を分断した西洋の歴史を語るフーコーが理性を告発しようとしても言語によって行う以上、同じロゴスというギリシャ語で表せる言語と理性と論理は同根なので被告も告発者もどうあがいても同罪。形而上学が様々な論理に則ってふるってきた暴力を咎めるレヴィナスだって、それを言うために論を書くことで暴力への加担から逃れられないとされる。2016/12/29

しんすけ

7
所収の「暴力と形而上学」はレヴィナスの『全体性と無限』を世に知らしめたことで名高い。一種のレヴィナス批判である。しかし批判を非難と受け取ってはならない。 デリダにあるのは、カントのそれと同じく対象を自身で解釈して継承するすることなのである。デリダがいう下記はそれを如実に表している。 /他人の赤裸な真実が現われるのは、《欲求》を超えて、《風土》を超えて、ある種の《歴史》〔叙述〕を超えてではなかろうか? レヴィナス以上に巧みに、この点について教えてくれる者がほかにいるであろうか?/p2812018/08/11

stein

0
再読。テクスト読解の圧倒的センスに痺れる。そこを徹底的に突き、内部破壊に至らせる手管は現代思想界のケンシロウの如し。

NICK

0
トライ&エラーを繰り返しながらようやく読み終わった。といっても読んだだけ。俺では一度読んだだけではちんぷんかんぷんである。教養が足りてない。ある本によれば、デリダの文章が難解なのはデリダの思想がそうさせているから、だそうだ。脱構築の思考は真理を立ち上がらせない。デリダの文章(=操作)そのものが差延なのかもしれない。2010/07/09

いたま

0
複数の論文や講義をまとめたもので、何かの概念について一冊にまとめて論じているわけではない。フーコーやレヴィナスなどの著作について論じているが、脱構築やエクリチュールなどのデリダの独自概念を読み取れる。ポストモダンと言うと難解なものと想像していたが、実直な議論が展開されており意外と読みやすかった。デリダは柔軟性のない思考を批判的に捉えており、そうした姿勢の結実として差異やエクリチュール概念が提出されている。西洋的コギトに対する批判が暗にあるが、それの相対化(否定ではない)の試みの著作と捉えられよう。2021/02/10

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