出版社内容情報
ヘイトスピーチが他者への無理解と排除を呼号する現在、差別を考えることを通じて、より豊かな他者理解の地平を開いて行く試み。
内容説明
在日朝鮮人や韓国人の存在を否定するヘイトスピーチ。これらの言動を差別とする判決が最高裁で確定したが、それは私たちと無関係の出来事なのだろうか?「してはいけない」という次元に閉じ込めるのではなく、自分も思わず知らずに絡めとられていることに気がつくと、差別を、他人事としてではなく、より深く考えることができる。日常の出来事やテレビドラマ・映画などから、“差別と向き合うことの魅力”を提案する。
目次
第1章 差別に向き合う「気」が、日常の「孔」から漏れていく
第2章 差別‐被差別という二分法と差別する可能性
第3章 「男たちのジェンダー」を考える
第4章 他者を理解できる身体づくりへ
第5章 当事者「研究」の可能性
第6章 もう一人の「他者」として障害者を描く
第7章 しなやかでタフな日常文化の創造へ
著者等紹介
好井裕明[ヨシイヒロアキ]
1956年大阪市生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。日本大学文理学部社会学科教授。京都大学博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
tu-bo@散歩カメラ修行中
40
2015年3月上梓、Y図書館本。読み友さんの感想に興味を持った「差別言論」が図書館になかったので「差別の現在」を読んだ。まとめれば、差別がいけないことぐらいわかっている。そんな通俗的な倫理を確認するのではなく、まず自分が持ってしまっている「差別する可能性」を見つめてみよう。それは多様な違いを持つ「他者」と向き合い「他者」を理解するうえで必須の営みです。「他者」とともに生きている自分がより豊かに生きていくためにこそ、差別を考える意味がある。いろいろな事例がわかりやすく考える読書になりました。2018/06/01
ゆう。
22
ヘイトスピーチなどの差別行為は、「表現の自由」の領域から逸脱している民主主義社会の中で許されない行為です。人が人を差別する自由は存在しないからです。著者は、その原点に立ちつつ、差別がある社会の中で、それを否定するものも含め、差別する可能性があるものと自覚し、他人事とせずにより深く差別を生み出す社会の文化的側面を捉えようとしていると思いました。そして、差別を考えることは、他者とどのようにして生きているのかという共生というテーマがあるのだとも思いました。2015/04/23
skunk_c
10
仕事柄、差別について考え教えることが多い。その中で「差別はいけない」という「お題目」を唱えるだけで済ませる人権教育と、その対極にある、あまりに強さを求める解放同盟の一部の「糾弾」の双方に違和感を持ってきた者としては、真に目から鱗だった。「差別はいけない」と道徳的表象を立てることが即思考停止になること、そうではなく、自分が差別する可能性のある人間だと認め、常にそれと向き合いながら考えていくことが「魅力的」とまで言う筆者のセンスに感嘆した。差別を排除する強さの他、差別を見つめる「弱い」生き方も認める点も同感。2015/12/15
もりの
8
日本というお国がら、他者との違いに敏感な性質を持ち合わせていると思う。違いは尊重すべきであり、侮蔑などは適していない。自分も細かい配慮を気をつけたい。2017/12/07
フム
5
差別の問題については、ここ数年簡単には解けることのない問題として常に頭にある。在日朝鮮人や韓国人へのヘイトスピーチ、津久井の障害者施設での事件など…なぜそこまでの差別と排除の感情は生まれるものなのか。しかし、この本の著者は言う、誰でも差別をする可能性があること、差別を他人事としないで日常から切り離すことなく差別を考えることが大切であると。「踏まれた人の足の痛みは、踏んでいる人にはわからない」自分の無意識な差別を見つめ、同じように、差別をする人々も生きづらさに苦悩する一人の他者であるということからはじめたい2016/10/31