内容説明
倚りかからずの椅子、「Y」の箱の自筆原稿、食卓と黒電話、四季の庭の眺め…ピロティから居間・書斎まで、50年の時を刻む詩人の家を撮影。
著者等紹介
茨木のり子[イバラギノリコ]
詩人。1926年(大正15)6月12日、大阪に生まれる。幼年期を愛知県で過ごす。43年(昭和18)年、帝国女子医学・薬学・理学専門学校(現・東邦大学)に入学。19歳で敗戦を経験。46年、繰上げ卒業。戯曲や童話を書き始める。49年、医師の三浦安信と結婚。53年、川崎洋とともに詩誌「櫂」を創刊。55年、初の詩集『対話』を出版。58年、東京都北多摩郡保谷町(現・西東京市東伏見)に新居を建築、亡くなるまでこの家で過ごし、戦後を代表する女性詩人として活躍(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Hideto-S@仮想書店 月舟書房
120
広々としたエントランス。大切な人の写真が飾られた部屋。煙草の脂で変色した壁紙に生活の余韻が残ってる。1958年に自身で設計し、一人で住んだ茨木のり子さんの家。執筆に使った短い鉛筆。同人の谷川俊太郎氏が写したポートレート。本棚。自身で書いた死亡通知。スクラップブックにはご主人が描いた茨木さんの肖像。くしゃくしゃに丸められたのを伸ばして飾られている。無印良品の箱に保管された手書き原稿。亡くなったご主人を想って書いた恋の唄。「肉体をうしなってあなたは一層あなたになった。(中略)恋に肉体は不要なのかもしれない」。2016/01/07
masa@レビューお休み中
101
没後に作られた本なのに、この家にはまだ人が暮らしている気配があるのだ。詩人・茨木のり子さんが暮らした家の写真を中心に、原稿、絵、食器、家具、蔵書といったものが紹介されている。『自分の感受性くらい』で、はじめて茨木のり子という詩人を知った。詩という表現物から僕はサリバン先生のような人を想像したのである。あくまで勝手な妄想に過ぎないと思っていた。ところが、表紙を捲ると、そこにはサリバン先生がいたのです。寡黙だけど、情に厚くて、やさしい人だなと想像を膨らませてしまいます。こんな孤独を楽しめる大人になりたい。2013/08/22
いつでも母さん
100
大好きな方の家。いいなぁ。『自分の感受性くらい』でこの方を知ってからもう何年になるだろう。つまずいた時、必ず開く詩集がある。その詩をこの家で紡がれていたのだと思うとちょっとドキドキする。【静謐】を感じさせる家だ。まさしく、この方の家だ。今の私にはこの本のなかの『時代おくれ』の詩が胸に響く・・2016/01/07
どんぐり
81
愛用の眼鏡、谷川俊太郎が撮影したポートレイトから、詩人の“清冽”な姿が浮かび上がる。東京都保谷市東伏見にある茨木のり子の家。玄関ドア、玄関から階段、2階へと続く。2階居間、食卓と厨房、窓際に咲く金木犀。いまは主の居ない家の食卓、黒電話、椅子、夫「Y」とイニシャルの書かれた箱から見つかった未発表の詩。書斎の造り付けの書棚、大学ノートに書かれた日記、同人誌『櫂』。寝室のベッドヘッドには、身近な人たちのポートレイトやSonyのトランジスタラジオ。庭のみかんの木。事前に書かれた自筆の死亡通知の原稿。詩人・茨木のり2015/07/11
かりさ
78
茨木さんの、真っ直ぐで凛としていてそれでいてたおやかな…詩のイメージそのままの家。良く清められた廊下や階段、整理整頓されたお部屋たち。ご主人の写真、書斎、本棚、蔦模様の採光窓がついた玄関扉。ふっと茨木さんがいらっしゃいと顔を覗かせてくれるような、もう主のいない家なのに温かみが残っているようでした。庭の季節の植物、果物、器、大切な人のポートレートやYと書かれた箱、その中の遺稿、最期の死亡通知などは茨木さんの大切な人たちへの想いに気持ちが溢れて胸いっぱいに。収録の詩「時代おくれ」「みずうみ」とても素敵です。2015/12/07