どうする学力低下―激論 日本の教育のどこが問題か

どうする学力低下―激論 日本の教育のどこが問題か

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  • サイズ B6判/ページ数 238p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784569612515
  • NDC分類 372.1
  • Cコード C0030

出版社内容情報

「学力低下」はどこまで進むのか。2002年から導入される新学習指導要領は子供を救うのか。文部省の論客と気鋭の精神科医による大論争。

「日本の子供たちは勉強のしすぎだ」などと未だに信じている御仁も少なくないかもしれないが、それはいまや昔。現在ではむしろ、「学力低下がこれ以上起こったら、日本はどうなるのか」という懸念の声が巷で高まりつつある。

▼文部省サイドの見解は「『学力低下』を証明する客観的データはない」というものだ。だが、これに異議を唱える陣営は、独自の分析・調査をもとに、文部省が推進する「ゆとり教育」「2002年度からの新学習指導要領」を批判している。

▼その両サイドの代表選手といっても過言ではない論客同士が、同じテーブルにつき、忌憚のない議論を戦わせた。「分数ができない大学生はなぜ出現したのか。その問題はどこにあるのか」「そもそも、日本の大学は、一流といえるのか」「これ以上、子供たちの勉強時間を減らして大丈夫なのか」「子供たちが勉強しなくなったのは、一体なぜなのか」――

▼わが子、そして日本の未来のためのバトルトーク。

●第1章 「学力低下」を情緒的に論じてはならない 
●第2章 「まだ卒業できない」と言われる子も出る 
●第3章 「硬軟両作戦」で教育改革を展開すべし 
●第4章 「ゆとり教育」は行政的なレトリックである

内容説明

ゆとり教育推進VSゆとり教育反対。「教育改革の旗手」と「受験の神様」による大論争。

目次

第1章 「学力低下」を情緒的に論じてはならない(教育問題を考えるお互いのポジション;日本の大学は一流か;大学教育に対する議論が少ない ほか)
第2章 「まだ卒業できない」と言われる子も出る(学歴神話が消えたことによる不幸;改革は手順を踏まなければ成功しない;教育問題は地方選挙の争点であるべき ほか)
第3章 「硬軟両作戦」で教育改革を展開すべし(「心の教育」という文学的スローガン;小・中・高で異なる「ゆとり」の意味;EQ教育で他者への共感能力を得る ほか)
第4章 「ゆとり教育」は行政的なレトリックである(評価における三つの要素;ミニマム・リクワイアメントで教師の適格性がわかる;知識が画一的でなくなった時代の教育は ほか)

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Kaz

5
今から14年前、ゆとり教育が推進されていたころの本。大掃除で出てきたので再読してみた。はっきり言って、彼の説は間違っていた。理想論ではあるが、あまりにも楽観視し過ぎ。地方の公立校の現場無視もはなはだしい。当時から良識ある教員は?を連発していた。日教組崩れや勘違い教員は、彼の理想と違う部分で、自分に都合のいい所だけに乗っかり、それが現在のゆがみに拍車をかけた。風呂敷を広げるだけ広げて退散され、残った現場は右往左往。今後こんなことのないようにするにはどう処すればいいか。反面教師としてある意味良著。2014/01/06

摩訶不志木

4
なかなか良い対談を読めた。10年以上前の本だが、本質的なことは今も変わっていないように思えた。ゆとり教育は残念ながら失敗してしまったけど…2014/07/10

ホセ

2
[図]9年ほど前の本。寺脇氏がまだゆとり教育を現役ですすめていた頃。途中経過に関することが多く、賞味期限が過ぎていた。2009/05/12

おとしん

1
出版から九年たち、今だからこそ見えるものが多く勉強になった。ある意味寺脇さんはやりっぱなしで文科省をさったわけだ。学力調査も当初の理念とは違うきっかけで実施はされた。教育は国家百年の大問題だが、この10年が、理想主義者の壮大な実験に使われたように思う。しかも、まだそこから離れられずにいるとしか思えないことも切ない。2009/07/31

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