出版社内容情報
何を覚えておかなければならないのか。復興の名の下に忘れ去られた「戦後の精神」を、広島・長崎・沖縄等戦禍の民衆の声から探る。
復興という幻影
本書は気鋭の文芸評論家が「戦後年間」を振り返り、その時期を少し別な視角、視点から眺めながら、歴史のもう一つの断面を多くの具体的事象から探ろうとする一冊である。
戦後の歴史とは、一口に言えば「平和」か「復興」か、「慰霊」か「繁栄」かの選択だったともいえよう。
例えば長崎にはなぜ広島のような原爆ドームが残されなかったのか。また広島の復興計画はどのように変遷したのか。沖縄の慶良間諸島で住民に集団自決を命じた日本軍兵士がなぜ七割も生き残ったのか。
原爆ドーム以外に、日本が「二度の被爆国」であった証拠となるようなものはほとんど残っていない状況とは何を意味するのか。
何が変わって、何が変わらなかったか。「戦後空間」が何を隠蔽し、どんな共同幻想のなかで形成されてきたのか……。
他にも戦時中の「鬼畜米英」や「八紘一宇」といったキャッチコピーの意味、戦時下の植民地教育などを、戦後思想に通底するものとして論じながら、著者は戦後日本の復興や復帰の言説がいかにいかがわしいものであったかを明らかにしていく。
福島原発事故処理の流れが、あのときと不思議と似ていることに読者は気づかされるだろう。
?T 「トカトントン」と「ピカドン」 復興ヒロシマ論
?U ああ、長崎の鐘が鳴る 復興ナガサキ論
?V 沖縄のユーリー 敗戦後オキナワ論
?W 「鬼畜米英」論
?X 「八紘一宇」論
?Y 天皇と植民地の子供たち
?Z 天皇とセヴンティーン 天皇小説の周辺
?[ 国家は鎮魂することができない 「靖国の思想」批判
?\ ゴジラが来た! “冷たい”核戦争
?] 戦後文学者のアジア体験
XI 事変下の“戦争文学” 戦争と文学の言説を検証する
XII 軍旗と勲章
あとがき/初出一覧/参考文献
【著者紹介】
1951年北海道網走市生まれ。1974年法政大学法学部卒。1980年「異様なるものをめぐって―徒然草論」で群像新人文学賞を受賞し、文芸評論を開始。以後『南洋・樺太の日本文学』(1995年、平林たい子文学賞)、『補陀落――観音信仰への旅』(2004年、伊藤整文学賞)、『牛頭天王と蘇民将来』(2008年、読売文学賞)など、数多くの著書を上梓。現在法政大学国際文化学部教授。
内容説明
民衆が捉えるべき「戦後」とは何か。追いやられた歴史のもう一つの断面を、あのときのさまざまな事象から探る。
目次
「トカトントン」と「ピカドン」―復興ヒロシマ論
ああ、長崎の鐘が鳴る―復興ナガサキ論
沖縄のユーリー―敗戦後オキナワ論
「鬼畜米英」論
「八紘一宇」論
天皇と植民地の子供たち
天皇とセヴンティーン―天皇小説の周辺
国家は鎮魂することができない―「靖国の思想」批判
ゴジラが来た!―“冷たい”核戦争
戦後文学者のアジア体験
事変下の“戦争文学”―戦争と文学の言説を検証する
軍旗と勲章
著者等紹介
川村湊[カワムラミナト]
1951年北海道網走市生まれ。1974年法政大学法学部卒。1980年「異様なるものをめぐって―徒然草論」で群像新人文学賞を受賞し、文芸評論を開始。以後『南洋・樺太の日本文学』(1995年、平林たい子文学賞)、『補陀落―観音信仰への旅』(2004年、伊藤整文学賞)、『牛頭天王と蘇民将来』(2008年、読売文学賞)など、数多くの著書を上梓。現在法政大学国際文化学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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おさむ
風に吹かれて