なにも見ていない―名画をめぐる六つの冒険

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  • サイズ B6判/ページ数 220p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784560038871
  • NDC分類 723.3
  • Cコード C0071

内容説明

新しい美術史学の旗手による美術エッセイ=評論。著者は従来の文献学的な方法論を超えた新しい絵画解読法、見ることの冒険を提唱する。絵画を前にして、私たちはなにも見ていない。

目次

親愛なるジュリア―ティントレット『ウルカヌスに見つかったマルスとウェヌス』
カタツムリのまなざし―フランチェスコ・デル・コッサ『受胎告知』
黒い目―ブリューゲル『東方三賢王の礼拝』
マグダラのマリアのヘアー
カッソーネのなかの女―ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』
巨匠の目―ベラスケス『ラス・メニーナス』

著者等紹介

宮下志朗[ミヤシタシロウ]
1947年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

17
既知の知識を当て嵌めて絵画を観るような、頭でっかちな絵画の鑑賞法を批判する美術エッセイ。教条化したイコノロジーを振りかざす美術史家に対しての「何も見ていない」という批判。それでも絵画に対してモロに反-知性主義的な態度を取っているわけではなく、ただ単により柔軟に絵画そのものを観ることで見えてくるものがあるということが主張されている。 王道美術史的な解釈に回収され得ない、不自然な「逸脱」に着目し続けることでとても豊穣なイメージの世界が立ち現れてくる様がとてつもなくスリリング。2020/06/10

Hiro

2
さほど詳しくない絵画の本をちょっと無理して読んだ。難しい言い回しや専門的な議論の部分はそのまま読み流しても十分面白かった。5つの絵画作品をそれぞれ扱ったエッセイ5篇とマグダラのマリアの毛髪についてのエッセイ1つ、都合6章からなる美術エッセイ集。普通の美術書ではお目にかかれない、シモネタに関わる際どい話がかなり多くて、これが読み通せた一因。特にブリューゲル、ティツィアーノ、ティントレットを論じた章は教えられることが多くて感心して読んだ。三賢王の礼拝では幼子イエスのおちんちんがこんなに注目されていたとは!2022/01/11

OKKO (o▽n)v  終活中

2
いわゆる美術史的な芸術論を徹底的にコケにしまくる美術史家による美術論。キモは、芸術作品と対峙する際に陥りがちな「硬直」(教養の有無にかかわらずこれがあると思う)という罠への揶揄と警鐘、とみた ◆フガッ! 全6編中四つまで来て息切れ。すんごく面白いことが書いてあるし、それぞれ文体が対話とかエッセイになってたりとお楽しみの仕掛けもあるんだが、フランス語の翻訳によくある「軽妙洒脱」と「性格の悪いイヤミ」の混同により、次第に胸くそ悪くなる。本書の翻訳はもちろん後者。やっぱ原文読めないとダメだな全く。2013/11/20

とりもり

2
名画を巡るエッセイ集。なぜ「受胎告知」の場面の前面にカタツムリがいるのかとか、疑問に思っても分からなかったことに答えを与えてくれる。とはいえ、講義調の堅い文章ではなく、対話形式だったりして読み易い。個人的には、「ラス・メニーナス」が完成後に描き直されているという話が興味深かった。本格的な理解には西洋美術に対する深い造詣が必要だが、それを差し引いても面白い一冊。★★★☆☆2013/03/17

はじめ

1
絵画を「見る」我々に対して絵画は、あるいは画家はどう語りかけるか。 絵画の縁を歩きながら、その不自然な巨大さやあからさまに異様で場違いな存在感によって、受胎告知や受肉という形象不可能なものは新たなる技法である遠近法によってすら見ることができないと語りかけるコッサ「受胎告知」のカタツムリ/(→)2021/05/23

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