内容説明
無欲恬淡に九七歳まで絵と書をかいた熊谷守一。白樺派と交遊、絵は独学だった中川一政。未来派を標榜し自由奔放に生きた東郷青児。ゴッホにならんと版画ひとすじに疾走した棟方志功ら独立独歩の画人たちの伝記。
目次
私の履歴書 熊谷守一(近況―ばあさんとヘボ碁;出生―岐阜の山奥“落人の里” ほか)
私の履歴書 中川一政(人の運命―古今の“一点”足場に;“丈夫な”名前―長兄の政一は早死に ほか)
私の履歴書 東郷青児(由諸ある名跡―鹿児島生まれ神戸出生;小学生のころ―家は転々、家業も失敗 ほか)
私の履歴書 棟方志功(青森生まれ―十五人兄弟の三男坊;職人気質の父―好悪激しく一徹、侠気 ほか)
著者等紹介
熊谷守一[クマガイモリカズ]
洋画家。1880(明治13)年岐阜県生まれ。1904年東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科選科卒業。はじめ文展に、15年より二科展に出品し、16年会員。戦後47年三紀会創立に参加するが、51年退会し、以後無所属。64年パリで個展。色彩感豊かな独自の画風を確立、身辺の動植物を愛情をもって描いた。水墨画、書もよくした。77年97歳で逝去
中川一政[ナカガワカズマサ]
洋画家。1893(明治26)年東京生まれ。中学時代から短歌や詩を投稿。1914年巽画会に「酒倉」が初入選。15年岸田劉生らと草土社を結成。二科展にも出品、21年二科賞受賞。24年春陽会会員。75年文化勲章受章。生き生きとした躍動感のある油絵を描き、岩彩・書にも優れる。随筆家としても親しまれ、著作が多数ある。91年97歳で逝去
東郷青児[トウゴウセイジ]
洋画家。1897(明治30)年鹿児島市生まれ。本名鉄春。1915年青山学院中学部卒業後、有島生馬に師事。16年二科展に初入選し二科賞受賞。21~28年渡仏。「サルタンバンク」などキュビスム的な滞欧作で広く認められる。45年二科会の再建に尽力、その中心的存在として活躍し61年会長に就任。60年日本芸術院会員。78年熊本において80歳で逝去
棟方志功[ムナカタシコウ]
版画家。1903(明治36)年青森市生まれ。家業の鍛冶職手伝いから20年青森地方裁判所の給仕になる。ゴッホにひかれて画家を志し上京、28年油絵が帝展に初入選。27年ころから川上澄生らに影響され版画を始め、平塚運一にも教わる。36年国画会出品「大和し美し」で柳宗悦ら民芸運動家に評価される。自らの版画を「板画」と呼ぶ。55年サンパウロ、56年ヴェネチアの各ビエンナーレでグランプリ受賞。70年文化勲章受章。75年72歳で逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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