内容説明
春樹&ばななが与えたインパクトと電子機器の進化によって、日本人の文学的感受性は劇的に変貌していった。小説は、日本語表現はどこに向かって進んでいるのか。
目次
第1章 一九八七年、終わりの始まり(「ばなな伝説」の始まり;「サラダ記念日」と三島賞の創設 ほか)
第2章 村上春樹のグローバリゼーション(『ねじまき鳥クロニクル』の文学的成功;小島信夫による村上作品の解読 ほか)
第3章 変容する創作のシステム(芥川賞の歴史上最大の“事件”;二十歳の金原ひとみ、綿矢りさの受賞 ほか)
第4章 パソコンから生まれる新感覚(昭和の終わりと平成の始まり;手書き原稿とファックスの登場 ほか)
著者等紹介
尾崎真理子[オザキマリコ]
1959年宮崎県宮崎市生まれ。読売新聞東京本社・文化部次長。青山学院大学文学部卒業。文芸担当を志して1982年に読売新聞に入社。1992年に文化部記者になった直後から10余年にわたって、毎月の「文芸時評」を担当した。また、折々に、話題作を発表した作家へのインタビューも重ねてきている。時代と文学に鋭く切り込む文章やインタビューは、作家はじめ文壇関係者にも定評がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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吟遊
10
前半はハルキ論。後半は日本の文学賞の体制からコンピュータ時代の変化など。雑談各論。2007年刊。2018/12/12
sabosashi
7
小説というのはブルジョア文化がはらんだジャンルで、それがニホンではいびつな形で繁殖してきたことは周知の事実。ニホンでは「私」の在り方が独特。しかし近年、ニホン近・現代文学は終わった、と語る識者が目立つ。たとえば「現実」は小説に対してあまりに酷く接するようになってきた。ところが著者がここで強調するのは「私」の在り方こそが変貌してきたのであり、従来の捉え方では腕が宙を切るばかりだという(とわたしには読める)。一読して、今後書かれていくようなものにも未来を信じて行こうという気にさせてくれるのが、大きな収穫。2014/08/23
服部
5
村上春樹はまだしも、よしもとばななが何故これほど評価されてるのか(特に吉本ばなな名義の作品)今まで正直疑問だったのだが、この本を読んで、よしもとばななが現代の二葉亭四迷のような役割を果たしていたことが、評価されている理由なのだと分かった。また、第130回芥川賞における金原ひとみ、綿矢りさの二十歳ダブル受賞に関しても何の疑問も抱いていなかったが、筆者の出版業界を盛り上げる為だったのではないかという考察を読んで、目から鱗が落ちた。と考えると、やはり又吉直樹も…2017/06/06
takao
2
ふむ2024/05/02
Mana
1
1980年代からの小説について。読み始めは硬くてあまり面白くないかなと思ったけど、読み進めるうちにだんだん面白くなってきた。ただ、話が著者の興味の赴くままに進むので、現代日本文学史が分かってないとちょっと難しい。村上春樹とか吉本ばななとか、知ってはいてもデビューとかの経緯とかはほとんど知らないので、もうちょっと系統だって説明している本を読んでみようという気になってくる。巻末に参考文献が載っているので、読んでみようと思う。2014/11/03