内容説明
芸術と生活の境界に位置する広大な領域、専門的芸術家によるのでなく、非専門的芸術家によって作られ大衆によって享受される芸術、それが「限界芸術」である。五千年前のアルタミラの壁画以来、落書き、民謡、盆栽、花火、都々逸にいたるまで、暮らしを舞台に人々の心にわき上がり、ほとばしり、形を変えてきた限界芸術とは何か。その先達である柳宗悦、宮沢賢治、柳田国男らの仕事をたどり、実践例として黒岩涙香の生涯や三遊亭円朝の身振りなどを論じた、戦後日本を代表する文化論。表題作『限界芸術』に加え、芸術の領域での著者の業績がこの一冊に。
目次
芸術の発展
大衆芸術論
黒岩涙香
新聞小説論―高木健夫『新聞小説史稿』を読んで
円朝における身ぶりと象徴
『鞍馬天狗』の進化
まげもののぞき眼鏡
冗談音楽の流れ
一つの日本映画論―「振袖狂女」について
現代の歌い手
国民文化論
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
厩戸皇子そっくりおじさん・寺
56
かねてから読みたいと思っていたが、やっと果たせた。鶴見俊輔の本で最も著名なものでは無かろうか?。たまたま出掛けた尾道のTSUTAYAの一画に置いてあった。尾道に纏わる本のコーナーに。尾道は今、面白い町になっている。空き家再生プロジェクトのお陰で、面白いお店がたくさんある。小さなパン屋、深夜から明け方までが営業時間の古本屋、卓球場etc。帰ってから拝読。内容は著者の定義する限界芸術で綴る日本近代史。日本近代サブカルチャー史でもある。冒頭の芸術論を読んで納得。尾道は限界芸術論を実践している町なのである。名著。2018/09/03
ステビア
14
実に啓発的。鶴見先生の知性には驚嘆するばかりである。2016/10/10
またの名
10
野菜を切るとか毎日の一コマの美をチラチラ見せて終わる『めし』等の高級映画に審査員として面白がれなくて他の審査員と真逆センスの持ち主だった著者は高級芸術から遠ざかり、限界つまり周縁まで漂着。専門家が世に送り出す大衆芸術ですらない非専門家が製作し非専門家が享受する限界芸術に、新聞紙製の武具や歌やアマチュア細工にふとした誰かの微笑をも分類してるので、作ってみた歌ってみた動画ばかりか笑顔画像や食べてるだけ配信もこの概念に入るとは言える。でもタダ働き収益を吸い上げるプラットホーム企業は今や、限界と非限界の総合形態。2020/04/30
とまと
7
芸術を純粋芸術・大衆芸術・限界芸術に分け、芸術の発展を考えるには、まず限界芸術を考えることが重要だとする。その限界芸術の研究、批評、創作の先達として、柳田国男の民俗学、柳宗悦の思想、宮沢賢治を挙げ、それぞれについて論じていく。難しかったけど、北川フラムの「美術は、今生きる72億の人々の、個々の生理のあらわれ」という言葉の持つ意味が少し分かったように思う。次は柳田国男『日本の祭』を読みたい。2016/06/02
Takao Terui
7
鶴見俊輔の著作は、常に簡潔で、真っ直ぐに胸を衝く。「芸術とは、たのしい記号と言ってよいだろう」という言明から始まる本書では、純粋芸術と大衆芸術の狭間にある限界芸術の考察を経て、大衆文化の検討を行い、その具体例として円朝から日本大衆映画まで多岐にわたる分析と鑑賞がなされる。その言葉は論理にも実証にも裏付けられているとは思えないが、それでも頷き、考えされられる箇所が無数にある。誰もがアクセスできる平易な文章とその奥に垣間見える著者の蓄積、という意味では、本書もまた限界芸術たり得ているように思えてならない。2014/12/13