内容説明
幕末から明治にかけて、西欧文化を受容するために数多くの翻訳語が生みだされた。当時、焦眉の急であった異言語の翻訳をめぐる問題は、とりもなおさず重大な思想上の問題をはらんでいた。たとえば、natureの翻訳語として定着した「自然」は、本当に原語と等しい意味を担いえたのだろうか。その間の意味のずれこそ、日本人の西欧文化に対する「理解」と「誤解」を具体的に指し示しているのではないか。異文化との接触の場所である「翻訳」をめぐる原理的な思考を提示する。
目次
第1章 二つの「自然」をめぐる論争
第2章 辞書、事典に見る「自然」とnature
第3章 翻訳語「自然」が生み出した誤解
第4章 「自然主義」の「自然」とは何か
第5章 自然科学者における「自然」
第6章 丸山真男「自然から作為へ」の「自然」
第7章 「天」とnature
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
mittsko
2
【書きかけ】勉強、勉強 とにかく勉強になった 文庫になってくれてホントにありがたい(敬服2012/09/04
ayaka
1
日本の思想史を体系的に学んでないのでひとつひとつが新鮮だった。「自然」は「NATURE」にぴったり対応する言葉として考えられている。しかし、ここにはずれがある。自然はそもそも副詞であり、人為でないことを指したが、「Nature」は名詞であり、「万物」というような意味で、神の創造物。東洋思想の「自然」は物ではないので、元来言葉にできないものだった。また「Nature」の訳語として「天」も多く使われていた。これは法則の根拠であり、宗教的な概念。しかしそもそも「Nature」の語源であるギリシア語「physic2012/12/27
よこづな
0
あまり感心しない。著者自身が「人権」に向き合っていない。「翻訳」の問題があるのは確かなのに。2009/04/01