内容説明
日本仏教の巨星にして曹洞宗の開祖・道元禅師に影の形に添うごとく参侍し、のち永平二世を嗣いだ懐弉禅師が随侍当初四年間の師の教えを、聞くにしたがって書きとめたものが『正法眼蔵随聞記』である。道元の人と思想、主著『正法眼蔵』を理解するうえでの最良の入門書でもある。本書は、最も信頼のおける写本である長円寺本をもとに厳密な校訂を施し、詳細な注、わかりやすく正確な訳を付した、他の追随を許さない決定版である。巻末に「道元・その人と思想」(増谷文雄)を付す。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
KAZOO
100
「正法眼蔵」の解説付き10巻本を途中というか最初でダウンしてしまっているので、こちらの聞き書きを読み直そうと思いました。この文庫本の前の筑摩叢書版です。原文がありその下に訳文があるので、ほとんど訳文で読み終わりました。どうしても訳文の方が理解しやすいように原文よりも長文になっています。理解しやすく道元の言わんとしていることが若干は理解できたように思います。これも永平寺へ行く前の勉強です。2024/05/02
SOHSA
37
《購入本》道元著『正法眼蔵』とはまた違った視点から道元の思想とひととなりがみてとれる。正法眼蔵を読み解くための手引きとして紹介されることの多い本書ではあるが、やはりその装いは正法眼蔵そのものとは大きく異なるようだ。場合によれば果たしてこの2書にかかれている道元が同一人物であることを信じきれないようなほどの落差さえ感じる。その落差の果てに道元はおそらく単坐している。2020/11/20
テツ
24
道元の言葉。現代社会においては個性を重視し個として生きることを(あくまでも表向きは)尊いものとして扱いがちだけれど、そうした自分を追求する姿勢ですら我欲である。欲を捨てよ。私という存在に拘るな。身も心も思いも全てを捨て去り、我という存在すら薄れた瞬間に何が見えるのか。自分という存在について思考し、自分を取り巻く世界について思考し、そしていつか思考を重ねる主体である私ごと全てを捨て去ろう。人間全員がこんなことを目指して生きる必要はないし生きるべきでもないと思うけれど、微かに憧れてしまう。2019/08/07
出世八五郎
22
数年振り(※多分2年)に買った本が是。それも商品券で。基本、口語訳のみ読了。南泉斬猫以外は全て理解したつもり。道元禅師は“自己の見解を捨て、教えられたことをそのまま受け入れ、疑問を持つことないように修行せよ”なんて仰った。他に、仏道修行に入る者(※出家)は教えられた態度そのままに日々を過ごせとある。故に、それを世俗の立場として理解した。それについての意見は世俗としては持つが、出家の立場としてはそうなのだろう!と理解した。故にもしかしたら、理解してない箇所もあるかも知れない。2016/04/06
朝日堂
11
無我。我を捨てよと師は説く。およそ仏教とよべるものに通底する感覚は数あれど、この言葉ほど共通項の多い言葉はないのではないだろうか。「どこから入れば悟りを得られますか」「そなたは門をくぐられて何をきいた」「脇道に小川が流れるのをききました」「そこから入ればよい」とかく現代は個人主義という黴臭い価値観のもと、自分の利益を最大に効率化することだけを考え他を省みなくなった。今我を捨て、身も心も捨て、生きることの重要性。人生とは何か。生きるとは何か。愛するとは何か。苦しむとは何か。生を忘れてしまった人への金科玉条。2013/01/01