ちくま新書<br> 生権力の思想―事件から読み解く現代社会の転換

電子版価格
¥825
  • 電書あり

ちくま新書
生権力の思想―事件から読み解く現代社会の転換

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ 新書判/ページ数 270p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784480067098
  • NDC分類 361
  • Cコード C0210

出版社内容情報

我々の生を取り巻く不可視の権力のメカニズムとはいかなるものか。ユダヤ人虐殺やオウム、宮崎勤の犯罪など象徴的事象から、現代における知の転換を読み解く。

内容説明

死を迫る権力から、生かすための権力へ―これこそ近代への転換であった。そして規格化された従順な身体を規律と訓練によって創り出してきた近代の権力は今や「管理型権力」という新たな形式へと転換しつつある。身体の扱いはどのように移り変わってきたのか。そして現代の我々の生を取り巻く不可視の権力のメカニズムはいかなるものなのか。ユダヤ人虐殺やオウム、宮崎勤事件などの様々な事例と、フーコーらの権力分析を交差させ、社会を根底で動かすものの正体を暴き出す。

目次

第1章 生権力と「法の門」
第2章 身体の現在
第3章 零度の身体
第4章 ファシズムの身体
第5章 管理型権力
第6章 女門番の正体
補論 パレーシアとその裏側

著者等紹介

大澤真幸[オオサワマサチ]
1958年長野県松本市生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。個人思想誌『THINKING「O」』(左右社)主宰。専攻は比較社会学・社会システム論。著書『ナショナリズムの由来』(講談社、毎日出版文化賞)、『ふしぎなキリスト教』(共著、講談社現代新書、新書大賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

この商品が入っている本棚

1 ~ 1件/全1件

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

harass

52
フーコーの生権力の概念とその発展変化を分析する新書。生権力は思想関係の本では必ずでてくる重要な概念であり、「規範訓練」からドゥルーズ・東の唱える「管理社会」への変化を、近年の事件から考察分析していく。大御所の本であるが、ぶっちゃけ、こういうのに飽きたかもしれない。面白いと思うところもあるが、疑問を感じる部分が多い。特に論拠として「ではないだろうか」が多すぎる。こういう社会評論の雑さなのかと。思想哲学者の概念や引用を出されて、理解できないのは自分が悪いとか、ありがたがる時期は自分は卒業できたと実感。2017/08/09

ころこ

31
コロナ禍における権力の発動は端的な暴力ではない新たな特徴を示しており、この見えない視線が我々を苦しめている。その様な問題意識をもって読む人が多いのには勇気づけられますが、同時に有益な結論は得られませんよと強調しておきます。とはいえ一つ一つは大変優れた着想をもって論じられています。①カフカ『審判』における「法の門」の読解が秀逸です。フーコー、ドゥルーズ、ジジェクの「法の門」に対する読解の違いを生権力における規律訓練型から環境管理型への移行として解釈しています。これだけを展開していっても良い位の深さがあり、こ2020/11/08

18
【パレーシア】→レトリックとは対極にある、説得を目的としない率直な語り。これについての考察を読むと、ミヒャエル・エンデ『モモ』の主人公はソクラテス並みの対話力を持っているのが分かる。相手の話を否定せず聞くことにより、パレーシアを引き出してしまう▼生殖を「再生産」と呼ぶようになったのは、1850年ごろ。つまり、多くのLGBTを突き放した(であろう)あの発言は、19世紀欧州の考え方なのだ。それを「伝統的で素晴らしい!」と取るか、「古臭く排他的」と取るか。「生権力」は私達の日常に潜む。2018/08/31

ハチアカデミー

12
C 宮崎勤を主な素材とした身体と管理社会をめぐる考察。「第三者の審級」、つまり人間にとっての絶対的他者とその視点の消失とともに現代人が抱え込まなくてはならなくなった心性を探る。メディアの進展によって、誰でも自分にアクセスできる可能性を持ったからこそ、自己承認願望も増大しているという指摘は腑に落ちた。ソーシャルメディアの文体の多くは神の視点にたって書かれるが故に「上から目線」となる、という指摘も(これを書いてるいまもそうだし)。ただ、東・佐々木中・柄谷らの論理を応用し社会を解体するという手法に違和感が残る。2013/02/22

takam

9
80年代から90年代のいわゆるオタクの家にも窓が隠れており、オウムのサティアンにも窓が無いことの共通点など全く考えもしなかった。また、宮崎勤事件で彼が死体を食べることとオウム信者が麻原彰晃の血を飲むことの共通性なんかも全く考えもしない事象ではあるが、社会学的にはその背景には生権力があると指摘する。 内容を追いきれないところは多かったが、90年代の空気感とその社会の前提に何が横たわっていたかの考察としては面白。2020/11/12

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/6321971
  • ご注意事項