内容説明
社会の高齢化にともない、「死」という現象が身近で日常的なものになっていく。「死そのもの」をどうとらえるか、どのような死生観を自分のものとするかということが、今後の切迫したテーマとなる。個々の生や死が、宇宙や生命全体の流れの中で、どのような位置にあり、どのような意味をもっているのか。「時間とは何か」を問いながら、死生観について考える。
目次
プロローグ 死生観と時間
第1の旅 現象する時間と潜在する時間
第2の旅 老人の時間と子どもの時間
第3の旅 人間の時間と自然の時間
第4の旅 俗なる時間と聖なる時間
著者等紹介
広井良典[ヒロイヨシノリ]
1961年岡山市生まれ。東京大学・同大学院修了後、厚生省を経て96年4月より千葉大学法経学部助教授。医療や社会保障に関する具体的な政策研究から、時間、ケア等の主題をめぐる科学哲学的な考察まで、幅広い活動を行っている
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
テツ
18
生と死について考えるということはその間にある時間について考えるということ。様々な側面からこの自分の存在と時間について考察する。ただただ生きることを恐れ死に怯えながら実際はそれについて何も考えないのではなく、自分自身が在るということはどういうことなのか自分だけでしっかりと見つめていかないといけないよなと思います。死生観をきちんと構築することで(錯覚し、諦めて)人はようやく死に怯えなくなるのだろうから。2020/11/01
うえ
10
「人間にとって、「俗なる時間」と並んで「聖なる時間」ともいうべき時間が存在し、それが本質的な意味をもつことをエリアーデは主張していた…歴史学者のホイジンガはその著作『ホモ・ルーデンス』において、人間の文化の根源をなすものとしての「遊び」の意義を強調した…社会学者のカイヨワは…「聖なるもの」と「遊び」とはやはり様々な面で異質のものであり、たしかに両者は「実人生」ないし俗なる次元と対立する限りでは共通するものをもつが、実人生を真ん中に置くと、聖なるものと遊びは対称的な位置を占めるとした」2018/02/25
スズツキ
6
「戦時中に死ぬことばかり考えてきたせいか、その後、生のみを考える時代が訪れた」と考える著者による時間と死の考察。モネやマッハによる要素一元論(体験の根源にある感覚的要素のみが実存)、カントによる「世界そのものに時間があるのではなく、認識するものにある」というコペルニクス的転回を推し進めたアインシュタインなどを引いていて興味深い。他方、後半の宗教的時間論は個人的に好みではなかった。2015/02/12
mami
4
◇図書館◇ちょっと難しかったな。2018/10/30
呑司 ゛クリケット“苅岡
2
欧米ではキリスト教の世界観を子供の頃から教えこまれて、その流れの先の死生観を持つことは不思議ではない。だから死後天国で永遠の命を享受出来るよう現世の努力を惜しまない。著者が嘆くのは日本人に死生観の空洞化が多く起きていること。アニメや音楽ならまだいいが、似非宗教にもハマるのはこれが理由。私も確固たる死生観を求めて読んでみた。時間の概念を持ち込み永遠や宇宙についても言及しているが、今回も確固たる死生観に到達し得なかったと白状している。やはり、死生観は生涯学ぶモノなのだろう。2021/05/12