出版社内容情報
近代スポーツはなぜ誕生したのか? スペクタクルの秘密は何か? どうして高度資本主義のモデルになったのか? スポーツと現代社会の謎を解く異色の思想書。
目次
序章 方法としてのスポーツ
第1章 近代スポーツはなぜイギリスで生じたか
第2章 近代オリンピックの政治学
第3章 スポーツのアメリカナイゼーション
第4章 スポーツの記号論
第5章 過剰な身体
第6章 三度目のスポーツ革命―女性の登場
第7章 スポーツの現在
終章 理想は遠くに
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
かみしの
7
スポーツとは何か、と聞かれたときに単なる娯楽と答えるだけでは如何にも面白くない。ではなぜ娯楽足りうるのか、と考えたときに初めて、大衆消費社会とスポーツとの切っても切れない関係が浮かび上がってくる。非暴力化する社会の身体的投射として成立したスポーツは、アメリカナイズされることでビジネス化し、その過程で誕生したヒーローは、消費者の欲望を満たすために、極限的な差異の競争に巻き込まれることになる。スポーツは情報化し、商品となる。メディアがスポーツに対して持つ権力は、例えばIOCによるレスリングのオリンピック2013/06/02
きつね
5
62「オリンピックは回を重ねるごとに儀礼的な演出を工夫してきた。時間が経った今になると、大抵の人間にはどれが古代からの遺産なのか、あたらしい発明なのか、区別しえなくなっている。なにやらそれらしく意味づけられていたし、そこで使われた象徴(たとえば火)はたしかに非常に古くから人間にとって実用的かつ象徴的に使われてきたものであった。しかしそれを象徴として使うことは、大会が次第に発展するにつれてスペクタクルとして発明された演出であった。ただの火ではなく「聖」火になった。「聖火」リレーがベルリン・オリンピックのさい2016/03/04
編集兼発行人
4
スポーツが個人と社会とへ齎す物事心象に関する考察。国内政治における暴力性が専制君主制から議会制への変遷に伴い退化する中で規則的な格闘技としてのローカルなスポーツが英国で誕生した後に一仏人の欺瞞的な思想を具現化するオリンピックに代表される共通ルール化と外交的な暴力の先鋭化とを経てスポーツの情報化と資本化とを巨大に仕立て上げた米国の影響による大衆消費社会での席巻に至るまでの思想的な背景を詳述。絡繰を眺めれば眺める程に実践と鑑賞と双方においてスポーツを単純に楽しむことに対する居心地が芳しくなくなる読後感に苦笑。2014/05/22
にゃん吉
3
暴力、記号論、身体論等の思想を駆使した、近代スポーツに関する考察。スポーツを通じて、近代、大衆消費社会、国民国家といった社会の本質が明らかにされるというカンジでもあり、社会とスポーツの双方向的関係というか、近代スポーツが、まさに近代の申し子として誕生し、変容(プロ化、メディア、資本主義との結びつき、デジタル化等々)して、さらには、逆に、社会(近代)をはみ出し、変える可能性までが示されるカンジでもあり、非常に興味深く読みました。東京五輪開催で揺れる時節柄、本書を読んでみるのもよいかもしれません。 2020/03/20
msykst
3
読むの三度目位だけど内容濃い。エリアスはスポーツを「社会が暴力を飼いならす事」、すなわち非暴力化(=文明化)の過程としたけど、一方でそれは国家による暴力独占の過程ともパラレルで、それは見落としてたよねと。ともあれそれってジェントルマンというイギリスの階級と密接に結びついてたんだけど、アメリカさんとかがすんごい勢いで大衆化したと。個人的には最近「ルール」という概念とか、ルールへの適応って面白いと思っていたんだけど、「ルール=抽象的な体系=デジタル」「ゲーム=現実態=アナログ」という区分けには溜飲が下がる2016/05/22