筑摩選書<br> 民を殺す国・日本―足尾鉱毒事件からフクシマへ

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筑摩選書
民を殺す国・日本―足尾鉱毒事件からフクシマへ

  • 大庭 健【著】
  • 価格 ¥1,870(本体¥1,700)
  • 筑摩書房(2015/08発売)
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  • サイズ B6判/ページ数 304p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784480016263
  • NDC分類 210.6
  • Cコード C0336

出版社内容情報

この国を規定し続ける「構造的な無責任」体制=国家教。フクシマも足尾鉱毒事件もこの体制が生んだ。この体制をいかに超克するか。倫理学者による渾身の書!

内容説明

チェルノブイリに次ぐ大惨事となった福島第一原発事故と、百年以上前に起きた足尾鉱毒事件。いずれも、この国の「構造的な無責任体制」に起因する。そこでは「国家の決定」が神聖視され、「知性の犠牲」を捧げてまで、その遂行が優先される。こうした体制=国家教の下で、足尾では企業による鉱毒垂れ流しのため村が廃村となり、森林は今なお回復していない。無数の人びとを見殺しにするこの国の「構造的な無責任」体制を超克するには何が必要か。倫理学者による渾身の書である。

目次

第1部 津波に先立って(東フクシマ原発事故;「想定外」の事象による事故?)
第2部 足尾から東フクシマへ(殖産興業からアシオへ;「帝国の生命線」から総動員体制へ;戦後の復興と成長)
第3部 国家教―見殺しの制度化(集団と責任;官による「公」の簒奪;国家教はどのように存続してきたか?)
国家教に膝を屈しないために…

著者等紹介

大庭健[オオバタケシ]
1946年埼玉県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。倫理学、分析哲学を専攻。現在、専修大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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壱萬弐仟縁

22
ポイントは明朝太。原子力委員会の無責任な安全対策(044頁~)。改竄され偽装された原子力安全文化(053頁)。文化の悪しき側面を原子力は持っている。健全な文化としての平和や健康を壊す原発再稼働、輸出などもってのほか。そして、9月初旬の台風で鬼怒川決壊のときも、飯舘村の野積みにされていたフレコンバックの流された数が不明とノタマワレタ東電の無責任さはいかほどか? 無答責の官僚、無答責の官僚的意志決定システム(195頁)。2015/09/26

coolflat

17
福島原発被害者はなぜ見殺しにされているのか。それは官産政学の癒着による構造的な無責任、集合的な不作為が累積した結果であり、その原型は遥か足尾鉱毒事件にまで至る。そしてこの頃から「見殺しの制度化」が始まり、戦時総動員体制から福島原発事故へと、「構造的な無責任」体制は継承されていく。筆者はこの「構造的な無責任」を国家教と形容する。国家教ゆえに「国策」への異論は許さない。国家教の特徴は「検証の必要性」を拒否するところにある。足尾も戦争責任も福島も総括されていない。「総括なき常態化」が「見殺しの制度化」を黙認する2016/07/08

kaikaikorokoro1

1
そうです「国家教」」の元で、誰も責任を取らない。この国では 2016/01/10

Hirono

1
足尾銅山鉱毒事件から翼賛体制、戦後政治、福島へつながる構造的類似点を指摘。政官財の癒着、アジェンダのすり替え、心理的ブーメラン効果など。福沢の丸山的読解(惑溺について)に対する批判ともとれる。ナチの反ユダヤ的精神史には触れず、ナチと日本的精神形態との安易な同一視。2015/12/20

すいか

1
憲法にも公共の福祉を人権に優先する考えはあるわけで、結局は程度問題なので「民を殺さない国」というのは有り得ない気もするけれど、これはいくらなんでもあんまりじゃないのみたいな構図は足尾銅山にも福島原発事故にも共通してある。 2015/10/25

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