内容説明
映画を弔うための真の批評は果たして可能か?自己言及を繰り返しつつ二十世紀の終わりと共に、映画は死のうとしている。
目次
増殖する物語
前頭葉の鰐―映画の感情論
ジェンダー・ハイブリッド・モンスター―エイリアン・フェミニズム
ユリシーズのまなざし―映画の身体論
大いなる青―リュック・ベッソンの冥界
越境の地平―映画館論
CINE‐OPIUM“映画的身体”論
工場の出口から遠く離れて―映画の終焉
著者等紹介
内田樹[ウチダタツル]
1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒。東京都立大学大学院博士課程(仏文専攻)中退。東京都立大学人文学部助手を経て、神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論
松下正己[マツシタマサキ]
1950年東京生まれ。日本大学芸術学部映画学科及び美学校細密画工房をそれぞれ中退。1971年に最初の映画作品を「アンダーグラウンド・シネマテーク」に出品。以後1979年まで実験映画制作を行い、同シネマテークでの個展開催の他、多くのイベントで作品を上映。提唱する映画機械学についての文章を映画誌「イメージフォーラム」等に寄稿する。1982年第三回ダゲレオ出版評論賞受賞
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感想・レビュー
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テキィ
3
ヴィデオ・ゲームもまた死んだ。まぁ、それでも自己憐憫に浸りながら、一時の救済を求め、同時に時間を潰してしまったという嫌悪に苛まれながらもプレーし続けるのは似ている。2012/06/06
がんぞ
2
1895年リュミエール兄弟によって始められ、見世物小屋の余興の一つに過ぎなかったシネマはやがて奇術などの芸能を圧倒し世界認識の方法として20世紀の大衆社会をもたらした。その黄金時代は20世紀前半にあり、自己言及で始原の驚異的瞬間を目指し続けることですでに寿命を終わっていると共著の両人は一致しているらしい。観客が暗闇を共有しない画面が発光の力を持つテレビは大衆娯楽を中継しても覗き見(タダ見)を機能とする消閑の具でビデオやインターネットはなおなお映像体験を拡大したことで「世界創造」の役割を果たさなくなった。2011/04/23
huyukiitoichi
1
なぜ頭の良い人たちは「~~は死んだ」といってしまうのか。岡田斗司夫とかニーチェとか。2009/10/18