(見えない)欲望へ向けて―クィア批評との対話

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  • サイズ B6判/ページ数 241p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784409040751
  • NDC分類 367.9
  • Cコード C3010

内容説明

本書は、文学を読むことの快楽と、狭い意味での性的快楽との区別を、意図的に混線させる試みである。

目次

1 見えない欲望を読む(セジウィックとホモソーシャル/ホモセクシュアル連続体;男と男のあいだ―『デイヴィッド・コパーフィールド』のセクシュアリティ;ジェイン・オースティンを読む兵士たち)
2 プライヴァシーの亀裂と侵犯(わたしは作文を引き裂いた―『ヴィレット』と語る女性の私的領域;登場人物には秘密がない―E.M.フォースターのクローゼット)
3 精神分析とクィア批評の往還(欲望はそこにある―ジジェク、コプチェク、固い現実界;主体化されない残余・去勢―ジュディス・バトラーと誤読のポリティクス;孤独なマゾヒズム―レオ・ベルサーニへの斜線)

著者等紹介

村山敏勝[ムラヤマトシカツ]
1967年生まれ。筑波大学文芸言語研究科博士課程中退。成蹊大学文学部助教授。英文学(イギリス小説、批評理論)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

なめこ

2
本質的な性差、アイデンティティを揺るがすものとしてあるクィアという概念の前提には、まさにその本質的な性差やアイデンティティの存在がある。確かにクィアな批評には異性愛を動揺させる力があるが、同性愛者を見えなくしてしまうという側面もある。クィアな言説を称揚するばかりでなく、著者は真摯にその限界にも目を向けている。第三部に論じられている精神分析とクィア批評の往還については、不勉強ゆえに理解が及ばなかった箇所も多かった。絶版となり、書店ではほとんど手には入らないのが惜しい。必ず再読したい。2015/09/05

元気!

1
精神分析周りがかなり難解だった…2022/03/08

無職のhkmaro

0
後半、ラカン派の用語系にまつわる問題が論じられるが、正直おぼろげにしかわからなかった。自分がラカン派そのものに全くさっぱり興味がないせいかもしれない。しかし「ファルス」という言葉の問題はラカンに興味ない人でも知ってれば疑問に思う点だろうと思うから、その点は面白かった。全体的に、クィアに限らず批評の本として読んでいて楽しい。この批評の楽しさ自体が本書では問題とされていて尚面白い。若くして鬼籍に入られたそうだが残念だ。本棚にはこの人が共訳したサイードの遺著があった。これも読みやすい訳だった。2014/01/14

トム

0
だいぶ難しかった。出直してきます。2022/08/29

0
アイデンティティ 差異 距離 境界線 同一化 欲望 誤読 これも手元に……そればっかり2022/01/29

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