なぜ芭蕉は至高の俳人なのか―日本人なら身につけたい教養としての俳句講義

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ B6判/ページ数 275p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784396614980
  • NDC分類 911.302
  • Cコード C0095

内容説明

「五七五」の源流から説き起こし、その変遷、発展を名句とともに、ひとつかみ!これ一冊で、俳句文学の温故知新が叶う。

目次

第1章 芭蕉までの一五〇年の歩み(俳諧の発生と室町時代の俳諧;戦国以後―松永貞徳と貞門俳諧;宗因と西鶴―談林派の登場)
第2章 芭蕉句―その試みと達成まで(俳諧への出発;談林俳人としての芭蕉;『虚栗』の時代;蕉風の芽生え;蕉風の確立;新たな旅へ;奥の細道へ;超一流となった芭蕉;上方を流浪する二年;句の意味の広がり;軽みの境地と芭蕉の終焉)
第3章 芭蕉以後の俳句と俳人(芭蕉を受け継ぐ弟子たち;芭蕉への回帰と超越;芭蕉の精神を追求した与謝蕪村)

著者等紹介

大輪靖宏[オオワヤスヒロ]
1936年東京生まれ。上智大学名誉教授・文学博士。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院修了。公益社団法人日本伝統俳句協会副会長。国際俳句交流協会常務理事。慶大俳句丘の会会長。横浜俳話会顧問。輪の句会主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

この商品が入っている本棚

1 ~ 1件/全1件

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

松本直哉

17
人口に膾炙した「古池…」「しづかさや…」などの円熟期の作品だけでなく、貞門派や談林派に交わりつつ試行錯誤した若い頃の句も鑑賞しながら俳句の歴史の中に芭蕉を位置づけて門外漢にもわかりやすい。にもかかわらず「なぜ至高なのか」よく理解できなかったし、そもそも至高と崇めて神格化するのにも抵抗がある。現代の我々が読むと芭蕉より例えば蕪村の方が琴線に触れるが、蕪村とて芭蕉が開拓した処女地があったからこそなのだろうし、個性的な多くの門弟を束ねていたのも芭蕉の懐の広さゆえということは理解できたけれども2016/07/20

yamahiko

14
芭蕉の作品が、何故、どのように変わっていったかを、背景と代表的な作品に即し、分かりやすく解説。芭蕉の凄さは、進化を決して止めなかった姿勢にあるのではと感じました。俳句を深く知りたいと思わせる良書です。2017/07/20

nizimasu

10
そもそも俳句は五七五だということぐらいしか、わからない私のような人にはうってつけの内容。中でも芭蕉が俳諧を確立していく過程で詠んでいる俳句が洗練されていくプロセス自体を明らかにしていく構成は、素人でも感嘆してしまうほど。しかも紀行文と言われた芭蕉の作品のほとんどは文章でなく、俳句にその心象風景すべてを捧げているという潔さにも舌を巻くばかり。おそるべし芭蕉の世界を知る上での最良のテキストと言えそう2014/12/03

良さん

4
芭蕉の「俳句」と言わず、「発句」というところがよい。なぜなら、芭蕉の目指したものは「発句」を出発点とした三十六歩の「俳諧」=風雅、だからだ。 【心に残った言葉】芭蕉は連歌に戻らないようにしながら、格調高い風雅へと俳諧をもっていかなければならなかった。卑俗性を保つことによって連歌と一線を画しながら、文芸性の高いものを志したのである。(111頁)2014/12/30

残心

3
俳句の歴史を平易に説いた書。すでに雅な文化が形成されていた和歌連歌があり漢詩も存在していた時代に、俳諧の地位を押し上げることは難儀なことだったようだ。当初は連歌の一部としての俳諧であり、「ふざけた」「滑稽な」という意味で扱われていて、和歌と比較して下品なものという存在だった。これが現在の俳句になっていくにはいろんな変遷を経るわけだが、まさにそれは芭蕉の変遷と同じ。芭蕉もいろんな変遷を経て芭蕉となったわけだし、死するまでにも常に変化していたらしい。「不易流行」たる所以だ。「物いへば唇寒し秋の風」は座右の銘。2016/02/16

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/8208061
  • ご注意事項