- ホーム
- > 和書
- > 教養
- > ノンフィクション
- > ノンフィクションその他
内容説明
日本人はなぜ、明治維新を成功させることができ、スムーズに近代化ができたのか。また戦後はなぜ、奇蹟の経済復興を遂げ、民主主義をも抵抗なく受け入れることが出来たのか―そんな素朴な疑問に答えるべく、著者は、神代から幕末までの日本人の意識と行動をたどっていくことで、その秘密を解き明かそうとする。その試みは奇しくも、著者が長年にわたって独自に築き上げてきた「日本学」の集大成の観を呈するにいたった。著者他界の二年前に上下二巻で刊行された名著を、今回一巻にまとめて再刊。
目次
第1部 「骨の代」から「職の代」へ(日本人とは何か;文字の創造 ほか)
第2部 「職の代」から「名の代」へ(武家と一夫一婦制;武家革命と日本式法治国家の成立 ほか)
第3部 名の代・西欧の衝撃(土一揆・一向宗・キリシタン;貿易・植民地化・奴隷・典礼問題 ほか)
第4部 伊達千広の現代(家康の創出した体制;幕藩体制の下で ほか)
著者等紹介
山本七平[ヤマモトシチヘイ]
1921年、東京生まれ。42年、青山学院高商部卒。戦時中は砲兵少尉としてフィリピン戦線を転戦、マニラで捕虜となる。戦後、山本書店を設立し、聖書、ユダヤ系の翻訳出版に携る。日本の文化と社会を独自の手法で分析していく論考は、「山本学」と称され、いまなお広く読み継がれている。1991年、69歳で没す(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
B-Beat
31
◎1989年刊行の古典的名著。上巻では古代から中世までを辿る。自身、正直言ってこの間の歴史については今一つ「修行が足りない」状態。そのためか著者が試みる日本書紀やらの古典を読み明かす箇所では、集中力不足もあってかなかなかはかどらず、著者の見解を早く読ませてよ、と訴えたくなる始末。それでも「天皇制」「かな」「律令制」「武家政治」「一揆」などのキーワードについては、これまでの知識の壁が打ち砕かれたり、より多面的に知り得たり。もう少し時間に余裕があって真摯に向き合う時があれば、その時にじっくりと再読したい。2015/11/10
グッダー
5
日本人はモノマネ民族である。 日本人には奴隷根性ある。などの根拠のない日本人論が現在の日本人を惑わしている。伊達千広の提唱する「骨の代」「名の代」「職の代」という、歴史区分を用いながら、日本の歴史を追っていく。私たちは私たちの歴史体験を誇る必要もないし、卑下する必要もない。ただただ、事実を見つめて自己を見つめる契機にすればいいし、歴史的な教訓とこれからの対策を、学んでいけばいいのだと思う。そこに根拠のない日本人論は必要ない。現代日本は文化の蓄積の上に存在するのだということを強く感じさせる本だった。2017/04/08
isao_key
4
神話の時代から明治維新まで歴史や史書に現れた日本人の原型を紐解く。著者の驚くべき知識と知性とがあいまって昇華されたような内容の濃い本となっている。日本文化とは何か、について「それは一言でいえば<かな文化>であり、この創出がなければ日本は存在しなかった」と述べる。日本人がよく言われる「ものまねの天才」という日本人評について、外国人が日本人の過去の蓄積を知らずに言ったことで、和時計の知識があれば洋式時計の製造はできて当たり前だった。図面を見たときすぐにその構造を理解し、自前で同じものを作れる技術を持っていた。2016/09/14
Sato1219
4
非合理なこそが日本の伝統であるかのような主張がしばしば見られるが、歴史をひもとくと、実際は合理的でプラグマティックであった姿が浮かび上がる。そもそも非合理と写る文化に耽溺できたこと自体、背景に豊かな経済的蓄積があったゆえだろう。合点という民主主義の萌芽や、町人による学問の伝統、暗愚な主君への押込など、昔の日本のほうが今より実は近代的だったのではないかと思わせるほど。2011/09/10
yoshi41101
4
松岡正剛が「国家の品格」のような中身のない本を読むなら、こちらを読めと言っていたのを聞き読んでみた。日本史の総まとめのようでとても面白い。ついでに松岡正剛の「日本という方法」も読んでます。2008/10/29