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内容説明
本書は、著者ケルテースが、みずからのナチス強制収容所体験をもとに描き出した自伝的小説である。戦時下のブダペシュトで、主人公である14歳の少年は、勤労奉仕に向かう途中ユダヤ人狩りにあい、仲間たちとともにアウシュヴィッツへと送られる。かろうじてガス室を免れた彼は、やがてブーヘンヴァルト、そしてツァイツに収容されることになるが、そこで待ちかまえていたのは、想像もおよばぬ苛酷な現実だった…。人類に多くの課題を残した20世紀最大とも言える負の遺産を、無垢な少年のまなざしを通して描き切った、ノーベル賞作家の代表作。
著者等紹介
ケルデース,イムレ[ケルデース,イムレ][Kert´esz,Imre]
1929年ハンガリーのブダペシュト生まれ。第2次世界大戦中、アウシュヴィッツなどで収容所生活を送る。最初の作品である『運命ではなく』により、ドイツ、フランス、アメリカを中心に高い評価を受ける。ニーチェやカネッティなどドイツ文学の翻訳も手がける。2002年度ノーベル文学賞受賞
岩崎悦子[イワサキエツコ]
1943年神奈川県生まれ。東京教育大学卒。東京外国語大学等のハンガリー語講師
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
新地学@児童書病発動中
122
ハンガリーのノーベル文学賞作家の作品。ナチスの収容所での経験を少年の目から描き切っている。この種の他の作品と大きく異なっているところがあって、その部分がこの小説を忘れがたいものにしている。一人の少年の収容所で生きのびるための闘いに焦点が当てられているのだ。ナチスの残虐な行為も描かれているが、ナチスは絶対的な悪であるという自覚を、主人公の少年は持たない。少年の無垢な目を通せば、収容所の中にも救いや優しさがあることが分かってくる。→2016/11/25
扉のこちら側
61
初読。2002年にノーベル文学賞を受賞したハンガリーの作家の自伝的小説。14歳でアウシュビッツ、ブーヘンヴァルト、ツァィツといった強制収容所を生き延び、ブダペシュトの母親の元へ向かう場面で物語は終わる。収容所送りになる前の、同じアパートの少女との「ユダヤ人であるということはどういうことか」と議論する場面や、収容所で悟った時間の概念など、強制収容所の物語としての完成度に加え、文学作品としても優れている。2012/11/06
miyu
35
長らく私の中で「読みたいけれど気が進まない」作品のうちの一つで私にはそんな類の本が多い。作者がこの作品に着手したのが30歳、脱稿がその13年後だというから既に大人になり「例のこと」の実態も周知の事実になっていた。にもかかわらずいたずらに煽情的な内容にはせず、ひたすら淡々と当時の感情や出来事を少年の姿で語る。「当然だけれど」という口癖が何度も繰り返されるのが象徴的だ。解放され住んでいた町に戻るシーンから実母の元に歩いて向かおうとするラストまでは呼吸するのも惜しい。希望が、というには憚られるような灯が見える。2015/05/31
つちのこ
30
強制収容所で過ごした実体験を、後年になって私小説化したハンガリーのノーベル賞作家の作品。囚人として収容されるまでの過程には悲壮感や卑屈感はなく、まるで遠足に行くように、気づいたときにはアウシュヴィッツ行の汽車に押し込められていたという、あっけない描写。そこにはユダヤ人であることすら、なんの疑問も持たぬ純粋な14歳の少年心が見え隠れしている。しかし、いくつかの収容所を移送されながら、食糧難や病苦にあえぎ貪欲に生きる日々を重ねる過程では、過酷な生活を淡々と描いていくなかに、⇒2022/10/14
勝浩1958
13
主人公の少年は強制収容所から解放され後に「苦悩と苦悩の間には、幸福に似た何かがあった」と回想した。同じことをソルジェニツインが『イワン・デニーソヴィチの一日』で語っている。どんな過酷な境遇にあっても、希望を失わないことが生還に結びついた、そのことを物語っているように思う。だから、少年はこうも述べている。「もしすべてが運命でしかないなら、自由などありえない、その逆に、もし自由というものがあるなら、運命はないのだ。」自分の人生は自分で切り拓いて行くしかないのだと、改めて思うのでした。2017/04/30