内容説明
第6巻は「超越論的な弁証論」の第三章「純粋理性の理想」を扱う。ここでは神の現実存在の議論が検討され、デカルト以来の伝統的な近代哲学の神の存在証明が分類され、すべて批判される。そしてこの存在証明に基づく神学の考察と批判が展開されることになる。
著者等紹介
カント,イマヌエル[カント,イマヌエル][Kant,Immanuel]
1724‐1804。ドイツ(東プロイセン)の哲学者。近代に最も大きな影響を与えた人物の一人。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』のいわゆる三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における「コペルニクス的転回」を促した。フィヒテ、シェリング、ヘーゲルとつながるドイツ観念論の土台を築いた
中山元[ナカヤマゲン]
1949年生まれ。哲学者、翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬弐仟縁
53
理性の本性のうちでこそ<究める>ことができる。理性の役割は、概念、意見、主張について、客観的な、主観的な根拠から、説明することにある(97頁)。解説編で、重要なのは、知性のカテゴリーは、認識の真理性を保証するが、理性の理念はたんなる仮象をもたらす違いがある。この 仮象(傍点)は、仮象をもたらす理念にも、重要な課題がある(339頁)。2022/07/27
かわうそ
41
偶然性の先には必ず必然性があります。なぜなら、偶然性の先には原因がなければいけいないのです。その原因を辿っていくと、つまり、背進を続けていけばいずれ無条件に必然的な原因というものにたどり着きます。ちなみに概念によって必然性を伴う最高の実在的存在に行き着くというのは無理な話です。なぜなら概念とは経験的なものであり、経験から超越している最高の実在的存在を経験的な概念によって説明するというのは不可能な話ですから。我々がたどり着けるのは最高の実在的存在を想定するという理神論的結論までです。2023/01/05
ころこ
38
前半に肯定判断と否定判断とは別の無限判断という概念が出てきます。ここが初めでだったのか分かりませんが、これをきっかけに調べてみました。無限判断は現在でも論点になっているようで、日本語でこの論点だけで単著も出版されています。私の理解では無限判断とは、存在そのものを一旦否定する(存在を神に預ける)ことによって、否定性そのものが逆説的にも積極的な対称性を獲得する。無限判断が「実在性の全体を制約する」ように働くのは、まさに超越論的だといえます。大澤真幸は無限判断を第三者の審級になぞらえて説明しているようです。2022/05/18
tieckP(ティークP)
6
神の証明と、理性の濫用についての総括の巻。神の証明については、自分なりに考えていたこと、つまり措定しうるけれども証明はしえないということが述べられていたので、他の巻より容易に理解できた気がする。そもそも、僕らが神を必要とするのは非合理的なことを説明する要請によるのだから、その正体は合理的は説明されえないし、説明された瞬間、その背後にある非合理を説明するための新たな神が要請されるだろう。とはいえ、それを当時に、西洋で証明してみせたのは実にすごいことだ。理性の越権したがる欲求を肯定的に認めているのも見事。2012/03/08
amanon
5
三分の二くらい読み進めたところで、その後長らく放棄。また最初から読み返すのも何なので、半ば強引に読了した感が。なので、その百分の一も理解できていないはず。それでも、興味深く思えた箇所、妙に引っかかった箇所が随所に見られたのは、やはり古典たる所以か。個人的にはキリスト教神学と関連するくだりがとりわけ興味深く読めた。しかし、いかんせん個々のタームの理解があやふやなままで読み進めてしまったというのに一抹の不満が。細部を気にせず一気に読むという読み方と、徹底的に細部に拘る精読を駆使して読むべき本だな…と痛感。2022/11/08