内容説明
11月初め。フョードル殺害犯として逮捕されたミーチャのまわりで、さまざまな人々が動きだす。アリョーシャと少年たちは病気の友だちを見舞い、イワンはスメルジャコフと会って事件の「真相」を究明しようとする。そして裁判で下された驚愕の判決。ロシアの民衆の真意とは何か。
著者等紹介
ドストエフスキー,フョードル・ミハイロヴィチ[ドストエフスキー,フョードルミハイロヴィチ][Достоевский,Ф.М.]
1821‐1881。ロシア帝政末期の作家。60年の生涯のうちに、巨大な作品群を残した。キリストを理想としながら、神か革命かの根元的な問いに引き裂かれ、ついに生命そのものへの信仰に至る。日本を含む世界の文学に、空前絶後の影響を与えた
亀山郁夫[カメヤマイクオ]
1949年生まれ。東京外国語大学教授。ドストエフスキー関連の研究のほか、ソ連・スターリン体制下の政治と芸術の関係をめぐる多くの著作がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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- 評価
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
288
この巻の前半は時間のスパンがやや大きくなるが、後半の法廷場面では、小説の時間の進行と現実のそれとが同等なくらいに細密に描かれている。また、第2巻あたりで長老ゾシマの物語としてあった神の問題も、ここではすっかり影を潜め、この巻では世俗に徹して語られる。あたかも法廷小説のような展開だが、検事の論告、そして弁護士の弁論はそのいずれもが、ミーチャに起りえたかも知れないことであり、事件に「真相」はあっても、「真実」は計り知れないという思いにもなる。錯乱したイワンを含め、これでカラマーゾフ家は崩壊するのだろうか。2013/04/15
パトラッシュ
172
父殺しで起訴されたミーチャの裁判はロシア的カオスの連続で「藪の中」の様相を呈する。第3巻でフョードル殺害場面が削られたため検察・弁護双方の主張の正否が不明で、スメルジャコフの犯行告白にも物的証拠はなく事件後に金だけ盗んだとも取れる。彼から「神がなければ全て許される」という自分の思想を実践したのだと告げられ追い詰められたイワンはカラマーゾフらしからぬ弱さをさらけ出す。主要な面々は有罪・狂乱・後悔に苛まれる敗者となり何の回答も与えられない。一切が曖昧な不条理こそ作者が提起したかったことなのかも。(5巻に続く)2020/05/06
あきぽん
153
名作は国境も時代も宗教も越える。これ腕のいい漫画家か映画監督がどんな人にも分かるように嚙み砕いて、多くの人に広まって欲しいですね。何て深い、すごい話なんだろう。令和の日本でも「親ガチャ」が流行語になりましたね。そしてミーチャに恋する女性も多いでしょう。2022/05/21
kazi
147
いやー、凄いな・・。これがどんなに素晴らしい小説であるか、上手く書けないのが悔しいです。私が読んでて最もハッとしたのが、いよいよ始まったミーチャの裁判に群がる大衆、傍聴人たちの俗悪さに関する記述です。人々はスキャンダルに興奮し、風説が風説を呼び歯止めが利かなくなる。ゾシマ長老逝去のとき同様、派手な見世物が起こってほしいと涎を垂らす大衆の下衆さが描かれる。物凄く現代的なテーマだ。リアリティ番組で最近起こった問題とか今世界中で起こってる事を思い出しました。今後こんな事があるたびに、読み返したくなるんだろうな。2020/06/06
ケイ
142
スメルジャコフの人生を考えれば哀れだ。そして一人だけ母の違うドミートリー。イワンには共感できないが、彼らを生み出したフョードルの罪深さ。子供たちの命の儚さと、アリョーシャが愛と隻眼をもって彼らに接する際の公平さ。アリョーシャがいるからこそ、このドロドロとした人間たちの醜さをそばで見る気になれるのだろう。裁判の場面は何度読んでも疲弊する。どちら側の言うことも、この証拠の中では最もだ。ただ、カテリーナよ…。とうとう本性を現したと、グルーシェニカに言われる始末。2021/06/09