老いのレッスン〈2〉これが私の生きる道

老いのレッスン〈2〉これが私の生きる道

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  • サイズ B6判/ページ数 308p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784333024704
  • NDC分類 281
  • Cコード C0095

目次

悪を書き続ける巡礼の旅で(作家・曽野綾子)
若い経験も人生の隠し味(料理人・道場六三郎)
命の火に風を送り続けて(児童文学者・作家・神沢利子)
動物の命のドラマを伝え、活かす((財)日本動物愛護協会理事長、元上野動物園園長・中川志郎)
繰り返し登る、初めの一歩が山頂へ(登山家・田部井淳子)
人の心を見つめながら、ペンを持つ(精神科医・作家・評論家・なだいなだ)
人生の遠近法―光と影を追って(画家・作家・司修)
人生というシナリオのないドラマ(脚本家・作家・山田太一)
大阪でずっと書きます、これからも(作家・田辺聖子)
奥深き映画の森に生きて(映画監督・篠田正浩)
悪女もオフィーリアも演じて生きる(俳優・市原悦子)

著者等紹介

曽野綾子[ソノアヤコ]
作家。1931年、東京都生まれ。聖心女子大学英文科卒業。1954年、『遠来の客たち』(芥川賞候補作)で文壇へ。主に愛、罪、信仰などをテーマに小説、エッセイを発表し続ける。一方、社会的活動も精力的に展開、1995年から十年間日本財団会長、2009年から日本郵政取締役。1979年にローマ法王庁よりヴァチカン有功十字勲章、1993年、日本芸術院賞恩賜賞、1997年、海外邦人宣教師活動支援会代表として吉川英治文化賞並びに読売協力賞を受賞。2003年に文化功労者

道場六三郎[ミチバロクサブロウ]
料理人。1931年、石川県生まれ。漆器製造販売業の父とそれを支える母のもとで成長する。故郷の鮮魚店で働くうちに、自然と料理の世界に目を開かれる。働きながら本格的に和食の料理人として修業を重ねるため上京。神戸、金沢と移り、1971年、銀座に念願の「ろくさん亭」を開く。あくまでも和食を追求しながらも、伝統にとらわれない自由な発想と新しい食材で、変幻自在な料理を提供する。テレビ番組『料理の鉄人』における活躍で、その腕前と心意気が全国に知られるようになる

神沢利子[カンザワトシコ]
児童文学者・作家。1924年、福岡県生まれ。父の仕事の関係で、幼少期を北海道やサハリン(旧樺太)で過ごす。文化学院文学部卒業。在学中より、詩の同人誌に加わる。1961年以降、本格的に創作活動に入る。処女作『ちびっこカムのぼうけん』以来、絵本から物語、ファンタジーまで幅広い子どもの本の作品を発表する。近年は自伝的エッセイなどにも独自の世界を表現。また2008年、十代から書き続けた詩集『立たされた日の手紙』を出版する

中川志郎[ナカガワシロウ]
(財)日本動物愛護協会理事長、元上野動物園園長。1930年、茨城県生まれ。1952年、宇都宮農林専門学校獣医畜産専攻科卒業。獣医師として東京都立恩賜上野動物園に勤務。1969年、東京都海外研修生としてロンドン動物学会研修留学。帰国後、同動物園にて飼育課長を務め、1972年、中国との国交回復記念に贈られた初来日のパンダの飼育を担当する。その後、都立多摩動物公園に転勤。オーストラリアからきたコアラのはじめての飼育プロジェクトの責任者として、飼育、繁殖に努める

田部井淳子[タベイジュンコ]
登山家。1939年、福島県生まれ。1962年、昭和女子大英米文学科卒業。社会人の山岳会に入会。1969年、「女子だけで海外遠征を」の主旨で女子登攀クラブを設立する。1975年、エベレスト日本女子登山隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレスト(ネパール名=サガルマータ、中国名=チョモランマ)八八四八メートルに女性世界初の登頂に成功。1992年、女性で初の七大陸最高峰登頂者となる。2000年、九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程修了(研究テーマ=エベレストのゴミ問題)。近年、年五~六回海外登山に出かけ、2010年現在、五十八カ国の最高峰・最高地点を登頂(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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