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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
しゅん
16
ソシュールによるシニフィエ(意味されるもの)とシニフィアン(意味するもの)の分け方が、結局のところ音声中心主義に行き着き、それは西洋古来の形而上学に奉仕するものにすぎない。以上のような問題意識で書かれていることは前知識として持っていたのだけど、なかなか理解に達せない、というか全然わかってない。自分が話す時に聞こえている声と他人に聞こえている声に大きな差がある(声を録音するとわかるやつです)という現象が、「差延作用」のコンセプトに結びついていることがなんとなくわかる程度。要再読。2017/09/18
またの名
13
近代までの哲学思想の読んでてイラッとくるポイントを痛快に叩きのめした現代思想の、最高峰の一つ。話し言葉に対して書き言葉、シニフィエに対しシニフィアン、物自体の現前に対して代理物、無垢な自然に対して技術による堕落が従属的位置に貶められるのは、様々な領域で二項の差異を分節する間化espacement、原エクリチュールの暴力つまりデリダ語で言う「差延」の効果によることを提示。というふうにあらゆる思考の陥穽を問い詰めていく姿勢が自身へのブーメランを警戒してズラシのズラシのズラシ…に陥る予兆も孕む、恐るべき書物。2014/12/17
34
10
「文字以前のエクリチュール」が『クリティーク』誌に掲載されたときのインパクトたるや凄かったらしいのだけれど今となってはどうだろうね。2020/09/12
hitotoseno
9
ソシュールさんはシニフィアンとシニフィエは恣意的に結びつくという概念を打ち出して我々現代思想に多大なる恩恵を与えてくださった方だけど、肝心のソシュールさん自身パロールにこだわりすぎて本来の出発点を忘れてんじゃねーの? という批判から始まる壮大なる言いがかり大全。西欧を覆ってきたパロール中心主義=ロゴス中心主義=男根中心主義の手口を暴く、と言ってしまえばとても立派なことをしているように思えるが、実の所は重箱の隅をつつきにつついて嫌がらせをしているに等しい。しかし、この面倒くささこそデリダの真骨頂である。2016/06/10
白義
7
初期デリダの三大主著の中でも最もまとまったもの。翻訳も的確で読みやすい。西洋哲学で話言葉に比べ書き言葉が貶められてきた系譜、さらに書き言葉の特徴から着想を得てか、差異を生み出す差延作用としてのエクリチュール論、それを手がかりに西洋のプラトンやルソーやヘーゲルに流れる現前の形而上学やアルファベットの優位をとく自民族中心主義を批判する。誠に気合いの入った試みであり、現代思想の重要モチーフもかなり出揃っている感がある。上巻は主に基礎論中心。その哲学批判と他者に応えるものとしての倫理は晩年まで一貫している2010/12/25