「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ

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  • サイズ B6判/ページ数 259p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784326652723
  • NDC分類 319.8
  • Cコード C3036

内容説明

マッカーサーの意向を反映させた憲法草案を机に置き、日本側代表に僅かの検討の時間を与えるためにベランダに出ていたGHQのホイットニー准将は、部屋に戻るなりそう口にした。「原子力的日光」とは当時唯一の核兵器所有国だったアメリカの「力」の比喩に他ならない。核の力を背景にした新しい世界秩序の中で、日本の戦後憲法はアメリカの強い関与によって産声を上げた。そして安保条約を経て、アメリカの核の傘の下で庇護されつつ日本は驚異的な戦後復興を果たす。唯一の被爆国でありながら、アジアで先陣を切って核エネルギー利用技術の受容に踏み切り、電力供給に不安を感じることのない原子力発電大国となったこともまた高度成長を下支えした。「兵器としての核」「平和利用の核」はわれわれの生活に幾重もの影を落としている。本書は、ホイットニーの「原子力的日光」から、東海村臨界事故の被災者が見たという、飛散する中性子線の放つ「青白い光」まで、核の光を見つめる眼差しの下に浮かび上がる「核の戦後史」を考察する。

目次

1954年論 水爆映画としてのゴジラ―中曽根康弘と原子力の黎明期
1957年論 ウラン爺の伝説―科学と反科学の間で揺らぐ「信頼」
1965年論 鉄腕アトムとオッペンハイマー―自分と自分でないものが出会う
1970年論 大阪万博―未来が輝かしかった頃
1974年論 電源三法交付金―過疎と過密と原発と
1980年論 清水幾太郎の「転向」―講和、安保、核武装
1986年論 高木仁三郎―科学の論理と運動の論理
1999年論 JCO臨界事故―原子力的日光の及ばぬ先の孤独な死
2002年論 ノイマンから遠く離れて

著者等紹介

武田徹[タケダトオル]
1958年生まれ。1989年国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程単位・博士論文執筆資格取得後退学。現在、ジャーナリスト・評論家
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感想・レビュー

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Mealla0v0

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サブタイトルにある「原発事故」とはフクシマのことではない。本書が刊行された2002年にとってのそれは、東海村の原発事故であった。既にこの頃から原発は「事故を起こすもの」と思われ始めていた。本書はその歴史を遡り、江藤淳=加藤典洋を承け、1946年憲法と比較しながら、単に押し付けられたと同時に受け取った原子力の始まりを指摘する。また、原子力が大衆のなかでどのようにイメージされてきたかをゴジラから万博までを検討し、電源三法の構造的暴力を批判する。加えて、清水幾多郎が核武装へ「転向」したことを詳細に論じている。2017/06/21

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