コウモリであるとはどのようなことか

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  • サイズ B6判/ページ数 356p/高さ 20X14cm
  • 商品コード 9784326152223
  • NDC分類 104
  • Cコード C3010

出版社内容情報

死,性,戦争,意識etc.――人間の生に関わる問いを哲学のみならず広く政治・社会などから取り,明晰な表現と誠実な態度で議論する。アメリカ現代哲学のホープ登場。

内容説明

死、性、戦争、意識ect.―明晰な表現と誠実な議論によって〈個〉と〈客観〉との関係を問い続ける。

目次


人生の無意味さ
道徳における運の問題
性的倒錯
戦争と大量虐殺
公的行為における無慈悲さ
優先政策
平等
価値の分裂
生物学の埓外にある倫理学
大脳分離と意識の統一
コウモリであるとはどのようなことか
汎心論
主観的と客観的

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

テツ

19
生全般についての現代哲学の思考。哲学史を学ぶことと哲学を学ぶことの違いについて改めて考えさせられる。幼い頃、世界は不思議なことで満ち満ちていたのに、人は大人になるにつれてそうした不思議さを捨てていく。この意識がこの肉体「だけ」に宿っているだなんて考えれば考えるほど気が狂いそうになるのに(なるから?)基本的に人はそんなことについて深く考えない。タイトルにある『コウモリであるとはどのようなことか』以外にも必ず自分自身の考えていたことに関わる文章があると思うので、晩秋の夜長に久々に脳味噌を働かせて読むと楽しい。2021/11/12

Gokkey

11
キャッチーなタイトルが目を引くが、本タイトルの論文を含めたオムニバス的な一冊。論じられているのは、自ー・他ー存在論的還元不可能性について。つまり、自身の意識経験へのアクセスは主体にあるが、この経験を産み出したであろうニューロンへのアクセスは(主体は)出来ない。一方で外部観測者はこのニューロンへのアクセスは可能だが、(観察する主体への)意識経験にはアクセスは出来ない。この矛盾を乗り越えて、どのように一元論的な意識の理解へ繋げる事が出来るか?著者は主観的観点をも包み込むメタな客観的視座の可能性に期待を寄せる。2020/09/22

大道寺

11
心の哲学の本だと思っていたが、分量的には倫理学・政治哲学の話の方が多かった。私は今回全章読んだけれど本書は14の論文の集まりであって、読者が関心を持つ論文だけを読んでも全然問題はないかと思う。訳者の永井均が関心別に読む順番を推奨しているのでまずは訳者あとがきから読むのが良い。全体を通じてのテーマは「14 主観的と客観的」であろう。「飽くことなき客観性への欲求に抵抗」することをひとつの道としてネーゲルは提示している。(続く)2011/11/24

kazutox

7
1979年の本、1989年の訳。タイトルだけ有名な表題作「コウモリであるとは…」は14章中の1章だけで、ほとんどの章は倫理学の話です(本の原題は Mortal Questions)。とても刺激的だけど難解な内容でした。とりあえず、倫理学(を含む英米哲学)はフワッとしたものではなく厳密なものであり、著者は誠実な人である、ということだけは分かりました。2023/10/07

K.H.

4
クオリアの話を多少なりとも押さえておきたくて読み始めたけれど、なかなか疲れる読書体験だった。やっぱり私は哲学に向いていない。たぶん、英語で読める力があればもっと楽なのだろう。仮定の積み重ね(その上でそれをひっくり返す論法が多い)を、いつの間にか直説法と勘違いして論旨を見誤る混乱を何度もやらかした。基本テーマは倫理学。特に前半はそれが中心なのだけれど、「なんだ、結局常識に立ち返るのか」というところも多くて、ちょっと物足りなく思っていたところ、あとがきで訳者に冷や水を浴びせられた。2021/09/15

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