出版社内容情報
「自分の」関与していない過去の共同体の行為に対する責任を、現在に生きるこの「私」は、いかなる理由によって負うべきか、かつ、負い得るか。問題の核心は、個人と共同性の関係は対立的で敵対的なものに尽きてしまうのかどうかにある。本書は、ロールズやセンと並ぷ現代リベラリズムの代表者ドゥオーキンの公共哲学を、リベラリズム対共同体論論争へのありうべきひとつの応答として読解し、自由と秩序の「つながり」を考え直す試みである。倫理学と正義論の架橋をめざす、条文・判例解釈の次元にとどまらない憲法学の可能性を追求する意欲作。<B
内容説明
「共同体」への“包摂”こそが“解放”の条件となるような「我々」のあり方を問う。ロールズやセンと並ぶ現代リベラリズムの代表的な思想家ドゥオーキンによる、「正義論」と「倫理学」の架橋の試み。
目次
第1部 「リベラリズム対共同体論」―憲法判例を素材として(危害原理;「自由」解釈の方法論 ほか)
第2部 「リベラリズム対共同体論」―アメリカ法学の応答(批判的法学研究(Critical Legal Studies)
「共和主義」(Republicanism)の憲法理論)
第3部 リベラリズムの「政治・道徳理論」―R.ドゥオーキンの場合(リベラルな平等論と、その前提とする人間像;「リベラルな統合」 ほか)
補論 卓越主義的リベラリズムの試み―J.ラズの場合