河出文庫<br> アンチ・オイディプス〈上〉―資本主義と分裂症

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河出文庫
アンチ・オイディプス〈上〉―資本主義と分裂症

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  • サイズ 文庫判/ページ数 409p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784309462806
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C0110

内容説明

マグマのような苛烈な文体によって、唯物論哲学を大胆に書き変えた名著の新訳。精神分析批判から資本主義と国家への根底的な批判へ向かい、そのための「分裂分析」をうち立てた革命的な思考はいまこそ「再発見」されなければならない。欲望機械/器官なき身体とともに、最も危険でカオティックな思考の実験がはじまる。

目次

第1章 欲望機械(欲望的生産;器官なき身体;主体と享受 ほか)
第2章 精神分析と家族主義すなわち神聖家族(オイディプス帝国主義;フロイトの三つのテクスト;生産の接続的総合 ほか)
第3章 未開人、野蛮人、文明人(登記する社会体;原始大地機械;オイディプス問題 ほか)

著者等紹介

ドゥルーズ,ジル[ドゥルーズ,ジル][Deleuze,Gilles]
1925年生まれ。哲学者。1995年、自ら死を選ぶ

ガタリ,フェリックス[ガタリ,フェリックス][Guattari,F´elix]
1930年生まれ。精神分析家であるとともにエコロジー、精神医療改革など様々な運動に関与したアクティビスト。1992年死去

宇野邦一[ウノクニイチ]
1948年生まれ。京都大学をへて、パリ第8大学でドゥルーズのもとに学ぶ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

49
文章がこなれているので何となく読めてしまうが、明確に読める読者はなかなかいないだろう。人間の可能性がエディプス的な価値の閉域に限定されてしまうことを批判している。人間の諸機能を「機械」と表現していて、さしたる定義付けも無く、どうも肯定的なニュアンスを帯びていることに不気味な印象を受ける。ただ、ここに例示されるのはベケットで、読み方のヒントが隠されているような気がする。人間は矛盾や困難を克服し、弁証法的に成長し統合して主体化されることを否定して、分裂したままの人間観を(考察とは言わず)模索している。2023/09/12

koke

14
「ただ欲望と社会的なものだけが存在する」ゆえに、ただひとつ社会を変えられる「欲望はその本質において革命的なのである」と要約できると思う。意外とシンプルで、熱血。しかし「抑制さえも欲望されるとすれば、『真の』欲望とは何なのか」という問いは答えられたのか?長さにもかかわらずマニフェスト的な本という印象。2023/06/07

ゆとにー

12
やっと読み終えたぞ…しかし土曜までに下巻とか無理だろこれ…2018/12/06

しゅん

11
10年前に読んだ時はちんぷんかんぷんだったのだが、今読むと「父を殺して母と寝る」のオイディプス・コンプレックスを手を変え品を変え批判していること自体はめちゃ単純。詳細な理路は追えてないし「超コード化」と「脱コード化」の違いをいまいち掴めてないのだが(解説はいっぱいあるだろうけど)。バタイユの消費概念も「生産」と捉えるところに考える余地が深そう。2021/08/20

hitotoseno

11
我々は通常欲望を悪しきものとして見なす。一歩譲ったとしても、社会から切りはなされた私的領域で飼い慣らすなら欲望は持っていてもかまわない、と言われるのが関の山である。本書の目的は欲望はあくまでも社会と密接につながっていると主張することであり、いかに欲望が社会によって(家族を媒介として)抑圧されているかを描くことである。もちろんその先には欲望の解放が目指されている。しかし、欲望の解放は単純に成り立つものではない。なぜなら社会は解放の道筋にも罠を仕掛けているのだから。それを見破ってこそ、真の解放は成り立つ。2017/01/07

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