出版社内容情報
家はあっても家族はなく、家族はあっても家庭はない──時代と世代に対する鋭い観察と深い諦念。短文の名手が紡ぐ珠玉の三十二篇
内容説明
日本に中産階級と家庭は確かにあった…。現代に失われた良き家庭を懐かしむ表題作。19歳の夏、人間関係の機微と孤独を味わった、ほろ苦い経験を描く「神戸で死ねたら」。時代を自由に駆け巡り、世代を超えて思考し、郷愁のなかに表われる鋭い批評精神と深い諦念をもとに、美しい文章で綴られた32篇を収録。
目次
むかし大掃除というものがあった
戦後日本の劇的空間
下宿変じてマンションになる
家はあれども帰るを得ず
まぼろしの父の書斎
何しに来たのよこんなとこまで
胸にとげ刺すことばかり
軽免許と「軽」軽自動車
二十年治らない風邪
ぼくの伯父さん〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
fonfon
10
重い記憶の積層から漏れ出て浮かび上がる、数々の思い出を物語りながら、加齢のコブシ一つ分おいた距離感が崩れないので、優れた読み物になっている。全部ほんとじゃありません、フィクションですよ、と断っておられるが、全部、個人の記憶が膨らんで関川さんと同時代に生きる日本人の「ほんとう」になってる、と思う。記憶を語るとはそういうもの。「かつて魚になりたいと思った」に最も心を打たれた。 2012/04/10
べんてん。
2
再読。なんというか、僕の好きな関川夏央氏の一冊。含羞と諦念の思想のもとに美しくつづられたエッセイの体裁をとった物語(と解釈している)。多分初読は単行本が発売になった1992年ごろ。20年近く年上の関川氏の文章と想いに憧れた。男性固有のセンチメンタルな感情だとも思うが、どこかでずーっと持ってたいような気もする。大人なのか大人じゃないのかよくわからないけれども・・・2011/06/28