内容説明
昭和47年に98歳で亡くなるまで八幡製鉄所の現役製鉄マンだった田中熊吉。ドイツで製鉄技術を学び、帰国後はひたすら溶鉱炉と格闘した熊吉の人生は日本の近代化と軌を一にした…。八幡製鉄所で初めて終身勤務の熟練工「宿老」に任命された男の一生と、ものをつくることの本質を、自らも八幡製鉄所勤務経験を持つ著者が探る。
目次
「カチガラス」の里
筑前国遠賀郡八幡村
「溶鉱炉で働きな」
ヘルド職工長の失踪
東田第一高炉の火入れ
日給八十銭の職工に
作業開始式と結婚式
ノイホイザーの帰国
日露戦争と左目失明
「獨逸国出張を命ず」
「マッドガン」の威力
溶鉱炉の火は消えず
著者等紹介
佐木隆三[サキリュウゾウ]
昭和12(1937)年、北朝鮮に生れる。福岡県立八幡中央高校卒業。38年「ジャンケンポン協定」で新日本文学賞受賞。39年まで八幡製鉄所に勤務、以後著述業に。51年「復讐するは我にあり」で第74回直木賞を受賞。平成3年「身分帳」で第2回伊藤整文学賞受賞。平成18年北九州市立文学館館長に就任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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C-biscuit
12
図書館に佐木隆三さんの追悼としてコーナーができており、借りてみた。タイトルも良い。宿老という呼称がわからなかったが、古い官位というか役職の呼び名のようで、江戸時代では老中のことであったよう。そして、八幡製鉄所でも数名しかいなかったようである。宿老は定年のない終身勤務のようで、田中熊吉さんも89歳でも働いていたようであるが、ほぼ晩年は名誉職のような感じを受けた。本の内容は田中熊吉さんの製鉄への思いとそのサクセスストーリーが書かれており、プロフェッショナルの流儀をみるようであった。こういう生き方もしてみたい。2015/11/04
まつ
3
八幡製鉄所で終身勤務の熟練工「宿老」として働いた田中熊吉さんを、八幡製鉄所に勤め広報担当として晩年の田中熊吉さんのインタビュー記事を書いた著者が描いた評伝小説。田中熊吉さんは臨時作業員として雇われ、当時高給で雇われていたドイツ人技師とも仲良く付き合い、後にはドイツへの研修にも派遣された。著者はNHKの旅番組で、プロデューサーや番組スタッフの尽力もあり、田中熊吉さんと縁のあったドイツ人の孫たちと話す機会を得る。「宿老」の生涯と旅番組の結実により、教科書よりも深く八幡製鉄所やお雇い外国人を知ることが出来た。2019/02/09
Ikuto Nagura
3
「なんぼ長官の命令でも、職員にはなりまっせん。私は死ぬまで、一介の職工として働きたかです」「だから長官は、田中君の言葉にヒントを得て、終身勤務にしたんだよ。最初から長官は、宿老第一号は田中熊吉と、きめておられたんだ」明治期の政府高官やお雇い外国人技師と、農家出の職工との信頼関係と友情。田中熊吉の立志伝は、日本資本主義の発展過程や、大正デモクラシーによる権利獲得過程における労働者の成功譚と捉えるべきか。でも、その陰に使い捨てられていった名も無き職工たちがいた訳で、単なる封建的主従関係の美談とも読めてしまう。2015/04/01
Tohru Iwami
2
八幡の高校を出て27歳まで八幡製鉄所に勤務した著者が、八幡製鉄所で初めて終身勤務の「宿老」に任命された職工の人生を描いた作品。官営製鉄所設立当初から、昭和47年東田第一高炉が操業停止するまで、高炉と共に生きた主人公の一生に惹かれる。ドイツに派遣研修されたときの足跡を調査したいきさつを記録した「エピローグ」がおもしろかった。2012/09/14
dumonde
1
鉄鋼業界についての知見を深めようとして手にした一冊。田中熊吉伝という読みやすい物語の中に、日本の鉄鋼業についての歴史を知ることができて分かりやすかった。2015/01/08