文春新書
唯幻論物語

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  • サイズ 新書判/ページ数 212p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784166604555
  • NDC分類 146.1
  • Cコード C0295

内容説明

「本能が壊れた動物である人間は、現実に適合できず、幻想を必要とする。人間とは幻想する動物である」。知的刺激に満ちた、この“唯幻論”は、どのようにして生まれたのか―。物心ついたときから、奇妙な強迫神経症に悩まされてきた著者は、フロイドの精神分析に出会うことで、その正体を探ろうとする。そして、一見、幸福な親子関係に潜んでいた自己欺瞞、母親の「愛情」こそ、神経症の原因だった…。人間という存在の不可思議さに瞠目させられる一冊。

目次

第1章 精神分析と唯幻論
第2章 神経症
第3章 母の術策
第4章 反復強迫
第5章 現実感覚
第6章 母と父
第7章 葛藤
第8章 史的唯幻論

著者等紹介

岸田秀[キシダシュウ]
昭和8(1933)年、香川県善通寺市生まれ。早稲田大学文学部心理学科卒。和光大学名誉教授。人間は本能が壊れて幻想の中に住む動物であるとし、精神分析の手法を広く歴史、社会、集団へと適用する文明批評家として活躍している
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

春ドーナツ

17
初めて知る「唯幻論」を簡潔にまとめた文章が第七章159頁に出てくる。話の展開を頼りに、向田邦子ではないけれど「ああ・うん」という感じで読み進めていた。先日読んだ柴田さんの一言がなければ、私は岸田氏の名前は存じ上げているものの、素通りしていたと思う。「人間の精神は、本能が壊れたために切り離された人間存在と世界とのあいだの隙間に発生した幻想群を構造化したものであって、精神に宿る自我や人格は個体保存と何のかかわりもない」。「本の雑誌」、「三角窓口」(投稿欄)の編集者の常套句「ふむふむ。そうかそうか」と私も思う。2019/07/09

okaching

8
面白かった。図書館でなんとなく目に付いて借りたが、読めて本当に良かった。この人の自我についての考え方、そして、精神的病理の考え方はとても分かりやすかった。また、自己分析の仕方は参考にしたい。ショックを受ける出来事が自分の無意識の世界を知る最高の教材である事は何となく感じていたが、他者の視点に立って分析していくことまでは思いもよらず。これまで漠然とし、理解がイマイチできなかった無意識の世界、自我の世界が何となく見えてきた気がする。2015/02/11

KAKAPO

3
放漫さは卑屈さに対する反動形成であり、卑屈な者のみが放漫になるのである。放漫な者が放漫であり得るのは、相手が卑屈であり得ることを前提としており、そのことが予想できるのは、自分の化に卑屈な面があるからである。放漫な者は自分に卑屈に屈従してくるものを必要としており、必要としていながら彼をやけに軽蔑するが、それは自分の卑屈な面への自己軽蔑を逸らしているのである。自分の中に卑屈な面がない者は、相手が卑屈になる可能性を思いつかないので、自分が放漫になることも思いつかないのである。2011/02/27

ひろみ

2
岸田秀という人間を知るには最適な1冊。この本自体はそれ以上でもそれ以下でもないような気がして、感想に困る。2013/10/28

未来来

2
著者の神経症や鬱病等の原因・症状・経過や、精神分析との関わり、著者の作った唯幻論について、特に批判に対する反論といったものが書かれています。云いたい事はわかるのですが、書き方は取り留めの無い感じがして、エッセイみたいでした。著者の他の著作を読んだ事が無いので、逆にそういう楽しみ方が出来て良かったかもしれません。人間は壊れた本能の代わりに現実と適合する為の幻想を作り出し、その中で生きているという考えは面白かったです。只、生物学では本能は存在しないとか揚げ足を取りそうになります。あと一文が長い。《大学図書館》2010/02/05

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