死では終わらない物語について書こうと思う

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死では終わらない物語について書こうと思う

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  • サイズ B6判/ページ数 222p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784163903309
  • NDC分類 182.1
  • Cコード C0014

出版社内容情報

僧侶でもある著者が、庶民から高僧までさまざまな時代の人々の死にざまを読み解き、「死=終わり」ではない日本人の死生観に迫る。

日本人はこうやって死んできた!

僧侶でもある著者が、庶民から高僧までさまざまな時代の人々の死にざまを読み解き、「死=終わり」ではない日本人の死生観に迫る。
「死に関する情報」はあふれているのに「死に関する物語」は貧弱な社会に生きる、現代人必読の書。

【目次】

第一章 日本人はこうやって死んできた
第二章 〈物語る〉仏教
第三章 臨終にも行儀作法がある
第四章 〈物語り〉を取りもどす
終章 帰るところのある人生を生きる

内容説明

終活だけでいいですか?宗教界の鬼才、渾身の書き下ろし!平安時代から今日までこの国の底流に脈打つ生と死の“物語”

目次

第1章 日本人はこうやって死んできた(「往生伝」の語り;『日本往生極楽記』を読む;『読本朝往生伝』を読む)
第2章 “物語る”仏教(仏教説話の“物語り”;法然・親鸞の浄土往生;一休・良寛の臨終;二百年前の日本人の死に方;宗教的ナラティブへ)
第3章 臨終にも行儀作法がある(臨終の作法;臨終行儀の系譜;密教系・日蓮宗系・禅系の臨終行儀;西に想う)
第4章 “物語り”を取りもどす(「どんな人も死ねばわかる」;現代の「往生伝」;薄められた死の物語;説教者の語り;“物語り”を取りもどす)
終章 帰るところのある人生を生きる

著者等紹介

釈徹宗[シャクテッシュウ]
1961年生まれ。宗教学者・浄土真宗本願寺派如来寺住職、相愛大学人文学部教授、特定非営利活動法人リライフ代表。専攻は宗教思想・人間学。大阪府立大学大学院人間文化研究科比較文化専攻博士課程修了。その後、如来寺住職の傍ら、兵庫大学生涯福祉学部教授を経て、現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

nizimasu

7
日本人の死生観というのは生との間に大きな溝がある現在。かつては往生要集や浄土思想や修験なんかにもあの世とこの世が、天上だったり西海浄土のような物語が綴られ多くの日本人が信仰ではなく信じていたことがとても幸せに感じられる。著者の問題意識は「死後の物語」や「臨終の物語」が現代には届いていないこと。日本の往生譚を語りつつ現代人にとっての死の物語を語り続ける。その鬼気迫る筆致はいつもの文章よりも熱量を感じさせるもの。人類には「神話」が必要なのはジョセフキャンベルの説でも明白だけど現代日本人の「希望の物語」でもある2015/10/02

coldsurgeon

4
死に関する情報はあふれているが、死に関わる物語は少なくなっている。物語とは、数多くの意味によって編み上げられた物語である。他者の死の語り・物語に耳を傾けることにより、自分自身が救われる。浄土という場所?をつい考えてしまうが、それは連綿と続く生と死の語られ続ける体系のの中にある。2020/10/10

AR読書記録

4
父の死から続く法事のなかで、葬式仏教などと揶揄するようにもいうけれど、今死者は向こうでこのような状態にあるのだ、だからこうすればいいのだ、などというイメージや気持ちの持ちようなどを、死者を送り出す者たちに教えてくれるというのは、大切な機能だなと思った。そしてそれは見送る側だけでなく逝くほうにも、あってしかるべきものだとはしみじみ思う。阿弥陀の来迎もキリストの贖罪も、信じることで救われるというような、物語の形は違えど効用は同じであるようにも思った。既存でも新たなものでもいい、私は私の物語を見つけたい。2015/10/11

hayatama

4
ふーむなるほど。釈和尚の語る「物語」に共感する部分が多いなと思ってはいたのだけれど、浄土真宗の僧侶でありながら宗教学者でもあるという、(本来は)体感すべき宗教というものを論理で理解しようとしてしまう、というところがあたしに似ているからかもしれない。あたし自身、仏教とは、イスラムとは、キリスト教とは、と考えがち。本書で数多く紹介されている、死を超えた物語にあたしも出会えるのだろうか?良書です。2015/09/23

j

3
浄土があるかないか、ではなく、なぜ私にとってお浄土が必要なのか、という問いが先。この世ではない浄土があるからこの世を相対化できる。日本人だけでなく、死に向かうとき人は自分を見る絶対的他者を必要とする。本書では法然・親鸞以前の往生伝から始まり、法然・親鸞以後近世ですら平生業成ではなく臨終の場に往生が意識されることを確認する。絶対的他者を意識するのは、普遍的に死と向き合うときとわかる。2017/03/27

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