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証言 三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決

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  • サイズ B6判/ページ数 263p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784163732503
  • NDC分類 910.268
  • Cコード C0095

出版社内容情報

保守派の巨人が、保守化した現代日本に対して、何を思うか。学生時代、師事し肉声を聞いてきた弟子が、2人の気持ちを代弁して語る。

内容説明

事件の三年前、たった一度の対談で、福田は三島事件を予見していた―もし、二人の巨人が生きていたら、今の日本についてどう発言しただろうか。生前、三島・福田両氏にもっとも近かった二人が、その思想と事件の真相に迫る。

目次

第1章 文武両道と死の哲学(対談要旨)
第2章 たった一度の思想的対決―三島由紀夫と福田恆存
第3章 「弱者天国の時代」に抗して
第4章 三島事件前後の真相
第5章 もしも三島由紀夫と福田恆存が生きていたら

著者等紹介

持丸博[モチマルヒロシ]
昭和18年、茨城県に生まれる。昭和38年、水戸第一高等学校を経て早稲田大学に進む。在学中に全国的な学園紛争に巻き込まれ、昭和41年「全学連」に対抗し、日本学生同盟を設立。「日本学生新聞」を発行し初代編集長を務める。この頃、三島由紀夫と出会う。昭和42年保守派のオピニオン誌「論争ジャーナル」副編集長に就任。昭和43年、三島由紀夫と共に「楯の会」を結成し、初代学生長を務める。以後、44年8月までのべ約百人の学生を選抜し、自衛隊体験入隊を実施

佐藤松男[サトウマツオ]
昭和22年(1947)、東京に生まれる。昭和44年(1969)、日本大学法学部卒業。在学中の大学紛争時には、スト反対派の全学委員長として反全共闘運動を展開。昭和45年(1970)5月、福田恆存を顧問とする日本学生文化会議を結成(昭和55年福田の命名により、現代文化会議と改称)。現在は生前、福田と交流のあった知識人を講師に迎え、毎年「福田恆存を語る」会を現代文化会議代表として主宰。昭和62年(1987)、福田恆存全集(文藝春秋)刊行に際し、福田の依頼により、年譜等の資料作成と、収録作品の整理、配列に携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

タケイ

5
僕は右翼ではないが三島の信念ある死生観は尊敬に値する。 天皇が政治的文化的にどれくらい必要かはともかく、法の基礎は力であるという論理に関してはフーコーも言ってるし納得、戦後すぐは今よりも実感が強かったのだろう。しかし楯の会による実力行使で自衛隊を出動させる計画が学生運動の退行により頓挫、自衛隊の山本舜勝には失望、またノーベル賞に落選。事件のがきっかけになってそうなのはこの辺か。 保守なら日本国憲法(条文)にも安保にも反対しろっていうの、それな。あと今国語教育に充てられる時間が戦前の半分という事にびっくり。2022/07/21

双海(ふたみ)

5
三島由紀夫の懐刀として三島とともに「楯の会」を創設した持丸博と福田恆存の思想に惹かれて反全共闘運動を展開し、福田を顧問とする学生団体:日本学生文化会議を立ち上げた佐藤松男。圧倒的に世論を支配していた進歩主義・左翼的社会観と敢然と戦っていた福田と三島の2人の巨人を再考する。本書の特筆すべきは世に蔓延る三島事件の誤認を糺している点にある。2013/01/02

DAMASIOLOGY

1
三島由紀夫VS福田恆存。その弟子である持丸博氏と佐藤松男が、互いに師から受け継いだ思想をぶつけ合う。保守思想派の二大巨頭が生きていれば、現代の日本の姿をどう見るのか。島由紀夫の「楯の会」で初代学生長を務めた持丸博氏と、福田恆存の学生秘書であった佐藤松男氏の両氏が対談し、三島・福田の思想と事件の真相に迫る。

tkm66

0
資料、ってか<興味本位>ですな。2010/11/05

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