NHKブックス
国家と犠牲

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  • サイズ B6判/ページ数 238p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784140910368
  • NDC分類 316.1
  • Cコード C1310

内容説明

戦没者を「尊い犠牲」として顕彰することで、悲惨な実態を覆い隠し、国民を新たな戦争に向けて鼓舞する。これこそが、国家の本質に関わる重要な課題ではないか。近代西欧の思想書・歴史書から自衛隊のイラク派兵問題、そして靖国問題まで、様々な言説に共通する国民動員の巧妙なレトリックを分析し、“犠牲=サクリファイスの論理”を乗り越える方途をさぐる。この国の現状を批判的に検証する試みであると同時に、犀利な思考に基づいた、野心的な国家論でもある。

目次

1 「犠牲」の論理とレトリック(靖国と「ホロコースト」―何のための「尊い犠牲」か;「英霊」顕彰の過去・現在・未来;ヒロシマ・ナガサキと「尊い犠牲」―抹消される責任への問い;「戦死者の大祭典を!」―国民動員のレトリック)
2 国民・犠牲・宗教―「祖国のために死ぬこと」の歴史(犠牲に結ばれた「国民」―フィヒテとルナン;哀悼と忘却の共同体;神話化される戦争体験―近代ヨーロッパの「英霊」顕彰;〈真の犠牲〉から〈堕落した犠牲〉へ―カントロヴィッチの場合;英霊の血とキリストの血―「殉国即殉教」という論理)
3 「犠牲の論理」は超えられるか(「正戦」と犠牲―ウォルツァーの場合;抵抗と顕彰―韓国の英霊;デリダと「絶対的犠牲」)

著者等紹介

高橋哲哉[タカハシテツヤ]
1956年福島県生まれ。東京大学教養学部教養学科フランス科卒。同大学大学院哲学専攻博士課程単位取得。専攻は哲学。東京大学大学院総合文化研究科教授
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

寛生

47
【図書館】著者が言いたいことがよく伝わらなかった。だったら、靖国があって国のために死ぬのだっていいんじゃないかという《悪魔の代弁者》を思わずにはいられない。とにかく、本書全体的にデリダ的な《ディコンストラクシィオン》の匂いが漂っていて、デリダの《Donner la mort》に真っ向から対立する僕としては、高橋先生のアプローチにもかなりの苛立ちを隠せない。そして、その苛立ちを抑えようとなぜか天から辺見庸の声がしてほっと落ち着く。(笑)例えば、180頁辺の犠牲の論理や神学的類似点の議論は説得性に全くかける。2015/02/23

Ironyuc

2
読みやすい。論理関係が明快、かつ重要な概念を繰り返し記述しているので、非常に論旨は掴みやすくなっている。ただ、「犠牲」の論理が、空間的、時間的に普遍的な問題であるということに説得力を持たせるために紙幅の8割以上を割いているので、冗長に感じられる部分はあるかもしれない。また、「犠牲」の論理は共同体が存在する限り消滅することは無いという論理的帰結よりも更に一歩踏み込んで、著者の精神的態度を明確にした上で締めくくっているが、その記述が「狂人日記」の一節を引用した半ば箴言的記述になっており、詳らかな記述が欲しい。2012/10/30

Tomo

2
「犠牲」という言葉を巡る言説を分析・解題していくことで、国家の在り方に批判的視座を付与していく。NHKブックスなだけあって、分かりやすくて面白い。学問的な素養がなくても読める。2009/05/05

フム

1
「尊い犠牲」という言葉は、戦争による死の悲惨さや割りきれなさに意味を与えるもので、慰めや救いをもたらす言葉かもしれない。しかし、その言葉で人々が何か納得したような気分になって、うつむき押し黙ってしまうとしたら、責任は問われぬままだ。2005年、小泉政権の頃書かれたもの。今読んで良かった。2014/02/28

生きることが苦手なフレンズ

1
「犠牲」について扱ったものとして、とても、参考になりました。「犠牲」の原義から考察があり、諸々、考えさせられました。僕は、犠牲とは、それが「何の咎も無い」とされること(罪があれば、それは「罰」なわけで)に特徴があるように思っていましたが、国家の責任の隠蔽、身代わり羊、みたいな観点もあるのだと、視野が広がった気がします。2012/12/23

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