内容説明
戦没者を「尊い犠牲」として顕彰することで、悲惨な実態を覆い隠し、国民を新たな戦争に向けて鼓舞する。これこそが、国家の本質に関わる重要な課題ではないか。近代西欧の思想書・歴史書から自衛隊のイラク派兵問題、そして靖国問題まで、様々な言説に共通する国民動員の巧妙なレトリックを分析し、“犠牲=サクリファイスの論理”を乗り越える方途をさぐる。この国の現状を批判的に検証する試みであると同時に、犀利な思考に基づいた、野心的な国家論でもある。
目次
1 「犠牲」の論理とレトリック(靖国と「ホロコースト」―何のための「尊い犠牲」か;「英霊」顕彰の過去・現在・未来;ヒロシマ・ナガサキと「尊い犠牲」―抹消される責任への問い;「戦死者の大祭典を!」―国民動員のレトリック)
2 国民・犠牲・宗教―「祖国のために死ぬこと」の歴史(犠牲に結ばれた「国民」―フィヒテとルナン;哀悼と忘却の共同体;神話化される戦争体験―近代ヨーロッパの「英霊」顕彰;〈真の犠牲〉から〈堕落した犠牲〉へ―カントロヴィッチの場合;英霊の血とキリストの血―「殉国即殉教」という論理)
3 「犠牲の論理」は超えられるか(「正戦」と犠牲―ウォルツァーの場合;抵抗と顕彰―韓国の英霊;デリダと「絶対的犠牲」)
著者等紹介
高橋哲哉[タカハシテツヤ]
1956年福島県生まれ。東京大学教養学部教養学科フランス科卒。同大学大学院哲学専攻博士課程単位取得。専攻は哲学。東京大学大学院総合文化研究科教授
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