内容説明
なぜ、日本人の医師が1600本の井戸を掘り、25キロに及ぶ用水路を拓けたのか?内戦・空爆・旱魃に見舞われた異国の大地に起きた奇跡。
目次
第1部 出会いの記憶1946~1985(天、共に在り;ペシャワールへの道)
第2部 命の水を求めて1986~2001(内戦下の診療所開設;大旱魃と空爆のはざまで)
第3部 緑の大地をつくる2002~2008(農村の復活を目指して;真珠の水―用水路の建設;基地病院撤収と邦人引き揚げ;ガンベリ沙漠を目指せ)
第4部 沙漠に訪れた奇跡2009~(大地の恵み―用水路の開通;天、一切を流す―大洪水の教訓)
著者等紹介
中村哲[ナカムラテツ]
1946年福岡県生まれ。医師・PMS(平和医療団・日本)総院長。九州大学医学部卒業。日本国内の診療所勤務を経て、84年にパキスタンのペシャワールに赴任。以来、ハンセン病を中心とした貧困層の診療に携わる。86年よりアフガニスタン難民のための医療チームを結成し、山岳無医地区での診療を開始。91年よりアフガニスタン東部山岳地帯に3つの診療所を開設し、98年には基地病院PMSを設立。2000年からは診療活動と同時に、大旱魃に見舞われたアフガニスタン国内の水源確保のために井戸掘削とカレーズ(地下水路)の復旧を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
428
「インマヌエル」を中村は「天、共に在り」としているが、クリスチャンである彼の心の中では「神は共におられる」であっただろう。ただ、アフガニスタンで共に働く人たちの大半はムスリムであり、中村はムスリムとしての立派な行いは賞賛するし、宗教の違いを超越するものをこそ信じていた。ほんとうのクリスチャン、そしてムスリムもまたそうであるはずなのだが。本書は、半自伝的な要素を含みつつ、アフガニスタンでの30年を回想したものだが、これまで中村が書いたものの集大成的なものとなっている。そしてガンベリ砂漠の緑地化は彼が⇒2022/07/06
鉄之助
298
中村哲さんが、銃弾に倒れてからもうすぐ1年。彼の残した足跡がいかに大きかったか、よくわかる1冊。アフガニスタン難民の医療チームを率いていた彼だけに、医療の話かと思ったら、全編ほぼ土木の本だった。「餓死」とは、空腹で死ぬのではない!と目覚めたという。食料不足→栄養失調→抵抗力低下→汚水・感染症→死の連鎖を断ち切りたい。故に「もう治療どころではない」という止むにやまれぬ熱情から、井戸を掘り全長25キロの灌漑用水を作った。そのために日本の伝統的土木工法を採用し武田信玄や加藤清正の知恵を現代に蘇らせたのは慧眼だ。2020/11/05
サンダーバード@怪しいグルメ探検隊・隊鳥
133
昨年不幸にも凶弾に倒れた中村氏。アフガニスタンで医療と灌漑事業に尽くした彼の30年にわたる記録。医師でありながら、医療だけでは貧しい人々の命は救えないからと砂漠に灌漑設備を建設する。内戦により治安が悪化する中で、ゼロから立ち上げ最後まで諦めずに事業を継続させた。何が彼をここまでさせたのだろうか?「倒れている人がいたら手を差し伸べる。普通のことです。」と言うが普通の人にできることではない。正に信念と行動の人であると思う。言葉では言い表せないほどの感銘を受けた。★★★★★2020/11/30
ちゃちゃ
127
アフガニスタンの内陸部に広がる荒涼たる沙漠。旱魃による飢餓、幾多の内戦やテロによる破壊は、莫大な数の犠牲者と難民を生み出した。なぜ、精神科医であった中村氏がこの過酷な環境で井戸の掘削や灌漑用水路の建設に携わったのか。超人的とも言える偉業に、私は密かに心惹かれるものがあった。「自然と人、人と人の和解を探る以外、我々は生き延びる道はないであろう」緑の大地への長く壮絶な道のりは、「天の恵みと人のまごころ」を何よりも信頼し、武力による対立や衝突よりも、常に誠実に和解の道を探ってこられた奮闘の足跡でもあったのだ。 2021/03/18
ゆみねこ
113
真の国際貢献とは?と言うことを、ガツンと思い知らされるような1冊でした。ハンセン病対策と支援のためにパキスタンに渡り、国境を超えアフガンで井戸を掘り灌漑用水路を作る。大国のエゴと利権が絡むと、その国の民族の平和や安穏は後回しにされてしまう現実。飢えて亡くなる子供は、空腹で亡くなるのではなく栄養不足で感染症に罹りやすくなるために命を落とすと言う事実に絶句。用水路が完成した後の緑豊かな写真に感動しました。2015/02/18