内容説明
著者は、師・大森荘蔵の強靱な思索に挑み続けてきた。心とは何かという、哲学史上最も難しい問いに立ち向かい、独我論の色彩濃い大森哲学の中から救い出されるのは、「世界」と「心ある他者」。この記念碑的著作に、大森は反論などの書き込みを遺していた。本書では、大森のメモへの応答も収録し、生々しい哲学的実践を再現した。
目次
第1章 虚と実(意識の繭;枠組としての実在;幻覚論法;「実在」の意味)
第2章 “内界”という神話(心身二元論;他我のアニミズム;独我論)
第3章 眺望論(視点状況とパースペクティブ;痛みと身体;相貌論)
第4章 規範の他者(“意味”の脱神話化;記号のアニミズム;自然と規範)
著者等紹介
野矢茂樹[ノヤシゲキ]
1954年(昭和29年)、東京に生まれる。1985年、東京大学大学院博士課程修了。北海道大学文学部助教授を経て、東京大学大学院総合文化研究科教授。専攻は哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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テツ
26
「自分には心がある。世界を認識しその中で思考を重ねて存在している。それはどうやら確からしい。でも他者も同じような心をもっているんだろうか。目の前にいるこいつも僕と同じような中身をもっているんだろうか。本当に?どうやって確かめたらいいんだろう」的なことは誰でも思春期の頃に考えると思いますが、大人になって自分なりに深く考えても当然ながら答えは見つからない。毎日毎日多数の他者と接しているのに、他者のことなんて何一つ理解できていない。大森荘蔵によるメモ書きも読みつつ絶対に解らない心と他者について考える。2019/07/03
hakootoko
5
「──出発点がそもそもまちがっていたのである。独我論的世界は私の心を表すものではなかった。痛みも恐れも悲しみも、そこでは端的に世界についての描写なのであり、それゆえ独我論的世界は〈無心の世界〉にほかならない。とすれば、問われるべきはもはや「他人の心」ではなく、「心」そのものにほかならない。無心の世界にいかにして心が登場しうるのか。すなわち、たんに心なき描写をするだけでは済まず、心ある描写がなさらねばならないのはなぜなのか。これがわれわれの問題なのである。2020/02/23
ken
3
他人の心や客観的世界は実在するか。前者は「他我問題」後者は「外界問題」と呼ばれ、長い哲学史上の難問として扱われてきた。だが限時点でどうあがいても他人の心も客観的外界も到達不可能。そこで筆者は「他我問題」「外界問題」を経験的、現象的問題としてではなく、言語的問題に捉え直しアプローチする。語り得ぬものとして沈黙せざるを得なかった心と外界を、別の切り口で語ろうとする。それは哲学的に死にかけた他者と世界を取り戻す営みだ。分析哲学とはこういうことなんだな。本書を読み終えて言語論的転回の意義が分かったような気がした。2018/07/24
Elstir
2
ウィトゲンシュタインのアスペクト概念を用いて、独我論に陥りがちな従来の他者論を乗り越えて新しい他者理解の道を切り開こうとする著作。非常にわかりやすく、なるほどと思いながら読めたけれど、どこか物足りなさを感じたのは読み込み不足ゆえか。要再読。2016/01/09
オフィス派の宇宙図
2
ぐわぁぁぁ!アスペクト盲がやって来たよ!アスペクト盲「日常系アニメを見て、それが次にゾンビアニメになった」違う!ゾンビアニメを日常系アニメに誤解していたのだという批判はアスペクト盲に成り立たない!アスペクト盲に見間違いがないのと同じように意味盲に誤解はない!誤解ではなく世界が過去も含めて変わるのだ!2015/07/18