中公文庫
柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学

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  • サイズ 文庫判/ページ数 237p/高さ 16cm
  • 商品コード 9784122014091
  • NDC分類 304

内容説明

石油危機で明け、不況と経済摩擦で暮れた過渡期の70年代から、新しい個人主義と,成熟した〈顔の見える大衆社会〉に進む80年代へ。10年毎に大変貌を遂げる日本の同時代史。消費文化論ブームを惹起した、イメージ豊かな日本の現状分析。吉野作造賞受賞。

目次

第1章 おんりい・いえすたでい’70s―ある同時代史の試み(同時代史を書くことの意味;近代化百年の終り;集団化社会の変質;「誰かであるひと」の要求;柔軟な個人主義の萌芽)
第2章 「顔の見える大衆社会」の予兆(脱産業化社会の第2段階;目的探究の社会;「顔の見えない社会」の歴史;消費文化の時代に向けて)
第3章 消費社会の「自我」形成(二つの先入見;消費の概念の昏迷;欲望の構造;消費する自我;大衆の変質;硬い自我の個人主義;柔らかい自我の個人主義;「無常」の時代の消費)

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

著者の生き様を学ぶ庵さん

37
80年代に70年代を評価し将来を見通す筆者が予言者に見えた高校生の頃。「消費とは充実した時間を消耗すること自体を目的とする行動」と効率優先の生産社会に対比して定義する筆者にビリビリとやられました。ただ、ここから「本を消費する」という嫌らしい概念も出てくる訳です。大学に入ると、本を消費する教授や学生に唖然とした紅顔の美少年の頃(自分で言うか?)。2016/09/27

白義

17
必要を満たすために発展した近代産業社会の終わりを宣言し、明白な窮乏や目的を失った新たな消費社会では、他者と社交し、自他の欲望と眼差しを取り込んだ表現する自己と、その表現のための消費が基本的なモードになるだろうと予言した本。大まかな見通しは納得できるし、消費は見せびらかしのための示威行為であるという説を批判し、他者との協同的な芸術的側面を強調するなど、哲学的にも興味深い指摘は多い。さすがに当時としても楽天的過ぎで、貧困が改めてクローズアップされた現代はさらに後退しているとはいえ、いい本2014/04/04

うえ

12
かつては死の恐怖の代表的な源泉だった結核。「1950年代の抗生物質の普及は多くの感染症を制圧したが…一時代を象徴する病ひであった肺結核を征服した…この病気こそ、栄養不良と劣悪な衛生環境の指標といふべき災禍であり…典型的な集合化の不幸であったといへる。そして、それにたいして人間のとった対策もまた典型的に集合的であって、国民的な規模での栄養と衛生状態の改善、国家的な健康保険制度による集団検診と大量投薬が、60年代に画期的な効を奏したのであった。個人の側から見れば、これはしばしば死にいたる病ひであった」2022/01/05

しゅん

12
喧噪の60年代から曖昧な70年代という対比を近代思想300年と突き合わせることで、現代の人々の傾向を探る84年の分析。マックス・ウェーバー曰く、近代では神への信仰として禁欲的な「生産」が称揚され、そこから「生産」の時代が続いた。今は「生産」で動物的欲求を満たす時期を過ぎ、「消費」の価値が上昇する時代だと著者は語る。そこから「消費」を、満たす欲望と先延ばす欲望の二つに分ける。先延ばしの多様性が社会の一体性を解体し、生産に規定されない、複数の共同体を回遊する「柔らかい個人主義」が生まれるという結論。 2021/01/13

nobody

9
突っ込みどころは無数だが、どれほど論述が破綻というより破滅してるかというと、山崎が否定的に用いている(根拠はP.206)キーワード「満足を先送りする」が「先取り」と誤植されてるのを校正が気付かぬばかりか3版でも訂正されず、解説の中谷巌すら肯定語として誤読するほどだ。これは校正や中谷らが悪いのではない。何せ「満足を先送りすることは、より十分に満足を急ぐための方法としての廻り道」という表現から山崎の本意を汲み取れというのだから無理な話だ。第三章、そして本書を破滅させたのは銀の皿である。先に会話とともに肯定側に2023/04/23

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