出版社内容情報
耳が聞こえなかった日から、声とことばを獲得し「話す人」となるまで。『ことばが劈かれるとき』の著者が語る声とことばの真実。
内容説明
音がない。両耳が聞こえない…。十六歳で右耳の聴力を獲得しても、何を語ればよいのかわからなかった。手探りで、ことばを見つける。それを声にして語り出す。だが、声にするには、まず息を吐かなければならない。本書では、ふだん自覚することのない、声として発されるまでのことばの胎動を見つめる。息を吐くとは、相手にとどく声とは、そして、ことばとは何か。著者自身の体験を交えて語られる声とことばをめぐるドラマ。
目次
1 ことばの方へ(音がない;音が聞こえる;ことばを見つけに ほか)
2 「話す人」の誕生(「ことば」の手さぐり;奈落の化粧;「文」を組み立てること ほか)
3 呼びかけのレッスン(人と人が話すということ;話しかけのレッスン;なぜ声はとどかないのだろう? ほか)
著者等紹介
竹内敏晴[タケウチトシハル]
1925年(大正14年)、東京に生まれる。東京大学文学部卒業。演出家。劇団ぶどうの会、代々木小劇場を経て、1972年竹内演劇研究所を開設。宮城教育大学教授、南山短期大学教授、南葛飾高校定時制非常勤講師などとして教育に携わる一方、「からだとことばのレッスン」(竹内レッスン)にもとづく演劇創造、人間関係の気づきと変容、障害者療育に打ち込む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
かす実
9
私はまともに話せない、と常から思っていた。「いやこうして今話せているじゃない」と友達には言われるけれど、そういうことではなかった。本書はこの「そうじゃないのに」の正体を的確に書き表してくれた。どうせ伝わらないと臍を曲げたり、伝わることが恥ずかしいと縮こまったりという私の心理的コンプレックスが、そのまま声をはじめとする諸問題へと繋がり、対人関係に小さな支障をきたしている。演劇やれば、なにか変わるかな。私は「ほんとう」に近いことばを 喋りたい。あなたに。2018/07/25
るい
4
衝撃的な本だった。私は言葉をどのように認識し、どのように発しているのか、この頃全く意識していなかった。言葉を操るのは当然のこととし、むしろ高度な言葉を操る人たちのようになりたいと、上ばかりを見ていた。聞こえない世界から聞こえる世界に羽ばたき、単語を単語として認識していくプロセスはすさまじいと思った。2018/07/10
AR読書記録
4
パラリンピックの期間でもあり、いわゆる「障害」とはその人の実感としていかなるものなのか、少しでも理解したいという思いがあったのですが、これはそういう目的で読む本ではなかったようです。いや、薬が効いて初めて「声」(というか音)が聞こえ、そこから「言葉」を認識していく過程のあたりは、なるほどなと思いながら読んでいましたが、記述は(著者の探求は)そこにとどまらず、声への追求を重ねに重ね、想像もつかないところまで進んでいきました。話される内容を届けるための仮の器ではない、それ自体が内容でもある声、な。聞きたいな。2016/09/16
I神学生
4
目から鱗。いかにこれまで言葉をおざなりに使ってきたかを猛省。「『話す』とは、声によって人に働きかけ、相手の行動=存在の仕方を変えること」という言葉は、まさに説教に当てはまる要諦。この書に出会えたことに感謝。2012/02/21
ドシル
2
聞こえなかった少年時代から、突然聞こえるようになり、音の洪水に埋もれたその後感じ方、考え方は読んでいてびっくりした。一度でいいからワークショップに参加して見たかったな。2016/02/19