中公新書<br> 登山の誕生―人はなぜ山に登るようになったのか

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中公新書
登山の誕生―人はなぜ山に登るようになったのか

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  • サイズ 新書判/ページ数 224p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784121015921
  • NDC分類 786.1
  • Cコード C1225

出版社内容情報

古来ヨーロッパにおいて山は悪魔の棲家として忌み嫌われていた。一方、日本人にとっては聖地であり、信仰にもとづく登山は古くから行われていた。だが近代的登山が発祥したのは二百年ほど前のヨーロッパで、楽しみとしての登山が日本で普及するのはそれから百年後の明治末期になってからである。この差はなぜ生まれたのか。日欧を比較しながら山と人の関わりの変遷をたどり、人々を惹きつけてやまぬ山の魅力の源泉に迫る。

内容説明

古来ヨーロッパにおいて山は悪魔の棲家として忌み嫌われていた。一方、日本人にとっては聖地であり、信仰にもとづく登山は古くから行われていた。だが近代的登山が発祥したのは二百年ほど前のヨーロッパで、楽しみとしての登山が日本で普及するのはそれから百年後の明治末期になってからである。この差はなぜ生まれたのか。日欧を比較しながら山と人の関わりの変遷をたどり、人々を惹きつけてやまぬ山の魅力の源泉に迫る。

目次

第1章 好奇心は山へいざなう(アルプスは悪魔の棲家?;薬草採りか鉱山か ほか)
第2章 アルプスへの憧れ(アルプスの発見;アルプスの美をうたった人々 ほか)
第3章 山と日本人(縄文人は山に登ったか;稲作の開始と自然崇拝 ほか)
第4章 日本近代登山の発展(日本山岳会の発足;登山思想の伝道者たち ほか)
終章 現代の登山を考える(登山大国日本;ブームの変遷 ほか)

著者等紹介

小泉武栄[コイズミタケエイ]
1948年(昭和23年)、長野県に生まれる。東京学芸大学卒業。東京教育大学大学院修士課程修了。東京大学大学院博士課程単位取得。理学博士。現在、東京学芸大学教育学部教授。専攻、自然地理学、地生態学、第四紀学
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

獺祭魚の食客@鯨鯢

20
日本の「近代登山」はウェストンと嘉門次により上高地で始まりました。近年の登山ブームの到来により遭難の頻発という影も引き起こしています。古来、山岳信仰は山への崇敬が根底にありましたが、登山の「大衆化」による負の側面は改善しなければならない課題です。 昨年秋、涸沢カールへ赴き錦秋の紅葉とモルゲンロートを体験しました。苦労して現地へたどり着いた者だけが享受できる特権は誰もが手に入れられる訳ではありません。「登山道」とも言うべき正しい知識と甘く見ない意識を大切にしたいと思います。2018/08/25

Satoshi

10
娘の幼なじみが中学校のワンダーフォーゲル部に入ったと聞き、思わず本書を再読した。脱走してまでケニア山に登ったイタリア人捕虜の心暖まるエピソードから始まり、西洋と日本の登山史を解説している。最終章の知的登山のすすめは賛同できるが、トレイルランなどの競技登山も認めていいのではと思った。コロナ禍が終わった後の楽しみのために、GWは登山計画を作ろう。2021/04/19

田氏

10
西洋ではなぜ山岳信仰が育たなかったのか?という疑問に端を発して手に取るに至った本書。著者にとって登山史は専門外とのことで多少割り引いて読む必要はあるのだろうが、欧州と日本とそれぞれでの信仰における山の存在、そこから近代登山に至るまでの概略として、よくまとまっているように思えた。西洋では18世紀に博物学が隆盛するまで、山は世界の均整を乱す異物とされ、悪魔の棲家と考えられていたとのことで、当初の疑問も腑に落ちた。しかし、終章の「現代の登山を考える」は蛇足に思う。筆者の独善性を開陳し、品位を貶めてしまっている。2018/11/15

dilettante_k

6
2001年著。ヨーロッパと日本、中国の登山史を辿り、人間が山に登る動機を探る。キリスト教下にあって、博物学が興隆する18世紀まで山を「悪魔の棲家」「自然の恥と病」と見なしたヨーロッパに比べ、山岳信仰や宗教行事、行楽の一環として山に親しんだ日中の違いが際立つ。また、日本の近代登山の発展史をひも解き、日本山岳会の発足、ヨーロッパからの技術導入、戦後から現代まで人口に膾炙した日本人の登山に対する独自の変遷を明らかにする。日本山岳会の発足に、美術批評家ラスキンが大きな影響を与えた史実に驚き。山の文化史入門に最適。2015/08/13

まとり

4
日本人の自然崇拝と山岳信仰、本地垂迹説などを体系的にまとめたすばらしい1冊。ただ1点、残念ながら「いかがなものか」という記述がある。「縄文人は山に登ったか」で編笠山頂付近でヤジリを拾った考古学者の推測を引用し「狩猟目的で登ったのではない」とみているが、これは小泉先生らしくない。カモシカは樹木が生い茂る森で猟をするより、山岳ガレ場で猟をしたほうがずっと簡単である。縄文人は「現代的な意味での登山」としてではなく、「カモシカ猟目的で標高2400m付近まで登った」と考えるのが自然であろう。

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