中公新書
博覧会の政治学―まなざしの近代

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  • サイズ 新書判/ページ数 300p/高さ 18X11cm
  • 商品コード 9784121010902
  • NDC分類 606.9
  • Cコード C1225

内容説明

1851年、ロンドンで開催された万国博覧会は、近代産業が生み出す商品の圧倒的量を示すことによって大衆を熱狂させた。博覧会は消費文化の広告装置、大衆娯楽の見世物の役割をはたすと同時に、帝国主義のプロパガンダ装置としての役割をも自己演出していく。このような場で新興国日本は、両義的存在たらざるを得なかった。本書は、博覧会を鏡として、近現代を織りなす「まなざし」に迫り、そこに作動する「力」を剔抉する試みである。

目次

序章 博覧会という近代
第1章 水晶宮の誕生
第2章 博覧会都市の形成
第3章 文明開化と博覧会
第4章 演出される消費文化
第5章 帝国主義の祭典
第6章 変容する博覧会空間
終章 博覧会と文化の政治学

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

umeko

16
2025年の大阪万博を前に、博覧会とは何ぞやと疑問に思い読んだ。様々に社会の影響を受け、そして影響を与えた博覧会だが、近年ではオリンピックに取って代わられた。2025年、私たちに何を見せてくれるのか期待したい。2021/09/09

浅香山三郎

13
副題の「まなざしの近代」といふ言葉が象徴的だが、近代の様々な要素(産業の発達、帝国主義と植民地、資本主義のもとでの消費、欲望)が可視化され、そこで展示されてゐるものが共通知識として学習される装置として博覧会が機能したことがよくわかる。第4章のランカイ屋の発達の話、第6章の大阪万博のコンセプトと影響についての各論も興味深い。博物館史の本としても使える。2019/01/01

chang_ume

3
近代の機制としてフーコー権力論をモチーフに、普遍化・特権化する〈まなざし〉の空間として博覧会を読み解く。前著『都市のドラマトゥルギー』の序盤で展開した議論を拡大した内容です。客体として対象化される世界、平明で透明なマトリクス空間としての世界、それらの典型が「博覧会」だった。その落とし子的な展開として「百貨店」「テーマパーク」「オリンピック」についても。やはり焦点となるものは〈まなざし〉の主体と客体、それらの同心円的な一望装置としての博覧会分析ですが、その部分は意外と控えめです。やや物足りない。2018/04/12

印度 洋一郎

2
近代の都市化、工業化、帝国主義が生み出した国家的イベントとして始まった博覧会は国家の思惑を超え、集まる民衆の欲望を受け止め、それを煽る巨大なシステムとなっていく。19世紀のハイテクである鉄骨とガラスを組み合わせた巨大な会場は、やがて登場する「欲望の殿堂」たる百貨店の原型となり、支配する植民地から蛮族を連れて来て”展示”する事で支配者たる宗主国の国民の優越感を満たす。そして、遅れて来た帝国主義国家である日本もその動きに乗り、大阪万博の狂騒がその頂点を成した。欲望の装置としての博覧会の歩みが興味深い2019/02/24

読書家さん#kqKgJj

1
航海時代を経て西洋はその植民地で得たモノ、ヒトを陳列するようになった。これが博覧会のはじまりで、こういった見せ方は支配者のまなざしを内包している。バラバラに存在するモノ、ヒトを同列に並べることにより、私たちはそれらを比べて、差異を感じるようになった。これを今現在のネット社会に置き換えると、私たちは画像、動画に変換し、支配者のごとく所有の気分を味わい、並べたものに序列をつけることにより、絶えず私たちは差異をつける競争を強いられている。だからネットはダメだなどというつもりはないが、それを意識することは大事だ。2022/11/10

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