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昨日の戦地から―米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア

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  • サイズ B6判/ページ数 474p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784120037443
  • NDC分類 936
  • Cコード C0021

出版社内容情報

自分たちが戦った「敵」は、果たして本当に「敵」だったのか。ドナルド・キーンら9人の若き将校が交わした四〇通の手紙に見る。

内容説明

海軍日本語学校、ハワイ陸海軍情報局からアジア各地へ―知性と感性とを兼ね備えた若者たちが、体験したすべてを互いに伝え合った40通の手紙。

目次

Aug.‐Sep.1945(グアムのドナルド・キーンからホノルルのテッド・ドバリーへ;ソウルのウォーレン・ツネイシからグアムのドナルド・キーンへ ほか)
Oct.1945(東京のテッド・ドバリーから青島のドナルド・キーンへ;青島に向かうドナルド・キーンから東京のテッド・ドバリーへ ほか)
Nov.1945(東京のオーティス・ケーリから青島のドナルド・キーンへ;東京のテッド・ドバリーから青島のドナルド・キーンへ ほか)
Dec.1945(青島のドナルド・キーンから東京のテッド・ドバリーへ;京都のテッド・ドバリーから青島のドナルド・キーンへ ほか)
Jan.‐Feb.1946(上海のフランク・ターナーから東京のシェリー・モランへ;東京のシェリー・モランからホノルルのテッド・ドバリーへ ほか)

著者等紹介

キーン,ドナルド[キーン,ドナルド][Keene,Donald]
1922年ニューヨーク生まれ。コロンビア大学、同大学院、ケンブリッジ大学を経て、53年に京都大学大学院に留学。現在、コロンビア大学名誉教授、日本学士院客員、文化功労者。勲二等旭日重光章受章。菊池寛賞、読売文学賞、毎日出版文化賞など受賞多数

松宮史朗[マツミヤシロウ]
1956年京都市生まれ。75年に渡米、現在ニューヨーク在住(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

がんぞ

3
やや羊頭狗肉でDキーンの文章は少し。 二十代前半の米兵は焼跡の日本を見て 「何故こんな貧しい国がUSAに歯向かおうと思ったのか」(製鉄能力150倍、綜合生産力50倍)と思ったろう。坂口安吾は「玉音放送があって平伏したなど嘘だ、国民は軍を止めたくてしかたなかったのだ」と喝破したが、占領軍へのテロがなかったのは朝鮮半島と雲泥の差。それだけ民度が高かったと言うべきか、卑怯な民族と言うか(利用される予定の天皇を残し下萬民までそれに習って《戦争責任》を追求しないことにした)。有史以来初の外国兵大量受け入れ、大成功 2012/02/27

まっちゃん2

2
生き仏のようなDキーンさんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈り申し上げます。キーンさんの著書を読みたくなって図書館で最初に遭遇したのが本書。じつはキーンさんの書いた部分は一部ですが、それでもこの本と出合えた本の神様に感謝いたします。じつに良い本でした。本書は米国の日本語情報将校ら9名の往復書簡集であり、終戦直後に日本とその占領地である中国や朝鮮半島に派遣された彼らが情報交換の記録であります。終戦直後に米国人である彼らが日本と東洋をどうみていたか日本人や東洋の人々が何を語っていたか適格に描かれています。2019/04/27

teitowoaruku

0
どこかに書いてあったけど、物に余裕があるからこそのアメリカ軍の寛容。対して、余裕がなかったからこその日本人の偏狭さ、よく言えば生真面目さ。それが、書かれた手紙の端々から感じ取れる。敗戦後の状況をどう(親日的な)アメリカ軍人がどう見ていたかを知る上でとても参考になった。2024/04/29

qbmnk

0
面白かった。まとまったらすぐに出版するという目標があった往復書簡なので、分かりやすく人に読ませるように書かれていた。若く優秀な情報将校が観察した終戦直後のアジアはとても興味深い。現在の中国や台湾、香港などの状況を思うと、国というものがいかに不安定なのか考えさせられる。その中でも文化や芸術が普遍性をもち人を繋ぐ役割もあることを感じた。若者の書簡でかなり理想主義的な面もあるが、正義や生き方についても考えさせられた。2019/08/31

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