内容説明
「私」とは何か?「世界」とは何か?人生の終末期を迎え、痴呆状態にある老人たちを通して見えてくる、正常と異常のあいだ。そこに介在する文化と倫理の根源的差異をとらえ、人間がどのように現実を仮構しているのかを、医学・哲学の両義からあざやかに解き明かす。「つながり」から「自立」へ―、生物として生存戦略の一大転換期におかれた現代日本人の危うさを浮き彫りにする画期的論考。
目次
第1章 わたしと認知症
第2章 「痴呆」と文化差
第3章 コミュニケーションという方法論
第4章 環境と認識をめぐって
第5章 「私」とは何か
第6章 「私」の人格
第7章 現代の社会と生存戦略
最終章 日本人の「私」
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
活字スキー
22
古くはカエサルの「人は事実そのものではなく、自分の見たいものを見たいようにしか見ない」、現代では山本先生の「全ての人間は認知症なのです」を信奉する自分としては見逃す事の出来ないタイトルであり、実際に読んでみても納得、再確認する部分が多いだけでなく新たに様々な知見も得られる良書だった。人はそれぞれの主観によって編集された認識世界を生きている。加齢に伴う身体機能の衰えや主観の偏りが大きくなり、物理的実態や他者の認識と解離し過ぎた状態が所謂痴呆と呼ばれているが、加齢そのものはごく自然な生命の営みの一部でもある。2017/04/18
佐藤一臣
21
認知症は、肉体的精神的老化により今生きている現実世界と大きく齟齬が生じること(他者とのつながりの欠落発生)がきっかけだそうだ。その程度が生存を脅かす域まで達すると、仮想世界(自分が把握して生きられる世界)に逃げ込むらしい。よって、対処策としては、周囲の人たちが認知症患者の仮想世界を肯定して受け入れてあげることが肝心だと言う。若い人のひきこもりも似た構造を持ち、肉体的精神的老化はないが、現実世界と大きく齟齬が生じて他者とのつながりが欠落することから起こる。その背景にあるのは開放型の新自由主義らしい。2017/02/27
あいこ
19
読了に2週間という異例の事態。それほど内容が詰まった本です。痴呆の話から、世界情勢や環境問題、仏教や歴史や心理学やらいろんな話に飛んでます。5冊程読んだ気分に。 現在認知症の祖母と暮らしておりまして、日々悩まされることも多々あり、心して読みました 認知症の方の不可解な行動や言動は、記憶力の衰えによる「世界とのつながり」が崩れていく不安がカギとなっているようです。 そうか、祖母は、不安なのだ。これは目から鱗でした。夜中に起こされるし憎たらしいことも言うけど、もう少し話を聞いたり、優しい気持ちを持ってみます。2015/03/26
Shimaneko
17
薄い新書ながら実に濃厚な1冊。寝る前にちびちび読もうとしたけど、連日寝落ちして進まなかったので、えいやとばかり正座して(うそ)最初から読み直した(これはホント)。一部私には難解すぎるところもあったけど、不安の根底が「つながりの喪失」であり、自己防衛としての虚構現実や、ひきこもりに関する考察はとても興味深く読めた。情動的コミュニケーションかー。頭では理解していても、それを生活レベルで持続させるには深い愛情が不可欠なわけで。やれやれ。2013/11/12
壱萬弐仟縁
15
親がボケてしまうと、夜間せん妄で、病院で静かなのに、家では騒ぐ(26頁)ことで介護する家族も振り回される。在宅介護が大変だ、というのは、非常に現実味を帯びているとわかる。人生80年、人によっては100年という時代。人に迷惑をかけないで逝けるには、と考える時代。しかし、ボケてしまって独居というと、無縁社会、孤独死になってしまうが、福祉制度は生活保護支給金減額で、心もとない。どうなってしまうのか、と不安にさせられる一冊。同時に、明日はうちの親とも思わされる一冊でもある。2013/04/25