内容説明
明治28年に金沢市に生まれ、10代で仏門に入り、30代で3年間の木食菜食生活を経験。「野鳥」という言葉を広め、「探鳥会」を初めて行ない、ヒートアイランド対策のための屋上樹林を考え出した。カスミ網の禁止、空気銃の追放などに尽力し、鳥獣保護法の基礎もつくった。文明大国へとひた走る日本に対し、戦前から自然保護を訴えた孤高のエコロジストの一生。
目次
七十三年目の富士・須走
文明のアフターケア
野の鳥は野に
夜が勝手に明けたんだ
益鳥を焼鳥にするな
日本初「自然を返せ」のデモ
開発しないことが開発になる
悟堂を支えた人たち
日本初のサンクチュアリ
ここならば良い『日本野鳥の会』会長を辞任
人類にして鳥類
著者等紹介
小林照幸[コバヤシテルユキ]
1968年、長野県生まれ。ノンフィクション作家。明治薬科大学在学中の92年に『毒蛇』(文春文庫)で第1回開高健賞奨励賞受賞。99年に『朱鷺の遺言』(中央公論新社)で第30回大宅壮一ノンフィクション賞を同賞史上最年少で受賞(当時)。信州大学経済学部卒。明治薬科大学非常勤講師(生薬学担当)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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takao
4
ふむ2022/07/10
Ribes triste
3
何か大きな事をなす人には、必ず根底にゆるぎない思想や倫理観があり、だからこそ周りの人を動かす情熱を持つことが出来るのだと思いました。2015/05/05
志村真幸
1
日本野鳥の会の創設者として知られる中西悟堂の評伝である。 その人生を戦いの連続として描いている。ツグミの霞網猟のとりしまり、環境保全と観光開発、そして最後は会の内部での闘争まで。 ただ、全体的に少し平板に思えなくもない。現代的な環境保護の視点に落としこむばかりなのだ。もう少し膨らみのあるひとだったのではないかと思う。 2019/12/13
okatake
0
日本野鳥の会の創設者である中西悟堂の評伝です。 名前はなんとなく知っていましたが、どんな方かは存じ上げませんでした。今回、その人生をたどることができました。 野鳥を中心に日本の自然と鉱工業や商ビジネスの進展との間で戦い続けました。言葉だけではなく、自ら先頭に立ち活動を続けていきましたが、その性格からか敵を作ることが多い人生でもありました。 不器用な人生ではありましたが、戦後の霞網猟禁止への活動・鳥獣保護法の成立への礎などなど、現代にまでその業績は輝いています。2022/03/10