言葉と物 - 人文科学の考古学

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  • サイズ A5判/ページ数 413,/高さ 20cm
  • 商品コード 9784105067014
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C0010

出版社内容情報

今世紀における思想の危機、人間の危機とはいったい何を意味するのか? 文化人類学、言語学、精神分析学等の試みの基盤を精密な論証によって明示する革命的大著。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

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『監獄の誕生』と一緒に読まなければおもしろくないし、一緒に読んでもおもしろくない。ルネサンス、古典主義、近代という時代区分も、古典主義と近代の知の枠組がそれぞれそのままデカルトとカントなのも、いってみれば凡庸なのだが、近代の知の枠組と権力の適用が相互に重なり合っているという図式は、ほんとうに独創的。しかしフーコーは後にこの研究に疑いをもち、その限界から出発するかのように生政治と統治性の研究に向かった。人間はまだ消滅しそうにないが、フーコーの思考の軌跡は当分のあいだアクチュアルなものであり続けるだろう。2019/06/09

またの名

16
グロ描写の多い『監獄の誕生』よりもはるかに戦慄を与える危険な本。類似関係によって世界を解読するルネサンス風にも、デカルト的な比較に基いて分類する古典主義式にも、表象の彼岸にある見えない構造としての生命・労働・言語に訴える近代の方法にも、一度本書に触れた人はナイーブに甘んじることができなくなる。各時代の知の配置(エピステーメー)が産出したもののひとつに過ぎない「人間」や人文科学を消し去るのは、フーコーが期待した精神分析と文化人類学だけじゃなくて、今やバイオ技術やビジネスマインドやネオリベだったりするのかも。2015/06/18

梟をめぐる読書

15
「物」の認識は、その時代の〈知〉の枠組みによって規定される。中世には、物同士の類似の体系において。近世には、同一性と相違性に基づいた表象の体系において。そして近代以降は、従来の〈表〉の方法では「表象しえないもの」の出現において。その近世以降の「〈知〉の枠組み」=エピステーメーの転換点を、フーコーは漠然としてではなく、博物学、経済学、言語学という三つの具体的な領域における新たな〈知〉の同時的な出現と発展のなかに見出す。未だ汲み尽くされることのない、〈知〉の文化史的・考古学的な思考方法の可能性がここにはある。2013/03/04

あなた

14
フランスではフランスパンのように売れた本である。要は、表象という問題である。私達は表象なしに生きることはできないが(もしそうするならばアルトーのように精神病院に行くしかない)、表象は決して無垢なものではない。18世紀までの古典主義時代にはすべてがきっちりとくまなく表象できると考えられていた。世界は散文化できると。しかしフランス革命のあたりを境に表象不可能なものがでてくる。カントは「物自体」という概念を打ち立てるし、たとえば「生命」や「労働」といった表象しきれないものが出てくるのだ。(コメントに続く2010/07/25

彩菜

13
物の認識を可能にする知の体系、それは時代ごとに異り地層のように積み重なっている。「人間」はその知の一つ、近代の知が造りだした一時的なものに過ぎない。そしてそれは私達の思考にとって危険なものだとフーコーは言う。▲類似による16世紀の知、表象による17・18世紀の知、19世紀初頭そこに労働・生命・言語という概念が現れる。私達に先立って既に生産手段で生物で言語である、そういった歴史と時間の奥行きを持つそれらは私達に有限性を告示し、同時に私達を労働し、生き、話す主体であり分析される客体、又認識しその認識を可能にす2018/11/17

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