出版社内容情報
共に死ねる場所はここ――『苦海浄土』に始まる作家と編集者の60年に亘る共闘と愛を、秘められた日記や書簡、発言から跡づける。
内容説明
ともに死ねるところがあるとすれば、それはただバリケードの上でだけ―傑作『苦海浄土』をはじめ、石牟礼道子の全活動を支えた編集者・渡辺京二。秘められた日記や書簡、発言から跡づける。半世紀の共闘と愛。
目次
1 道子の章
2 京二の章
3 魂の章
4 闘争の章
5 道行きの章
6 訣別の章
著者等紹介
米本浩二[ヨネモトコウジ]
1961年、徳島県生まれ。毎日新聞記者をへて著述業。石牟礼道子資料保存会研究員。著書に『評伝石牟礼道子―渚に立つひと』(新潮社、読売文学賞評論・伝記賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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どんぐり
96
石牟礼道子がパーキンソン病を発病してから約15年間、渡辺京二は食事をつくるために毎日、彼女のもとに通っていたという。渡辺が石牟礼と出会ったのは1962年、その後、作家を支える編集者から石牟礼の伴走者となる。著者の米本は、2013年後半から石牟礼が亡くなる2018年2月までの週1日、彼女のもとに通いつめ、そばにいながら取材をしてきた。それが、『評伝 石牟礼道子――渚に立つひと』として出版され、そして本書で、石牟礼と渡辺の関係を「作家と編集者」から「道行き」という言葉で表し、その過程を記している。→2021/08/11
ぐうぐう
36
いったん泣き出すと止まらない、赤子の石牟礼道子は渡辺京二曰く「生まれてきて、いやーっと泣いている」、つまりこの世に異議申し立てしているのだ。そう言う京二もまた「壁のようなものを作って人を絶対自分の中に入れない」、そんな人であった。孤独を抱えた二人が出会い、水俣病闘争を経て運命を共にするのは、ある意味必然だったのだろう。〈人のこの世は永くして/かはらぬ春とおもへども/はかなき夢となりにけり〉であるならば、もうひとつのこの世があるはず。そのイメージが二人の魂をさらに近付け、触れ合わせ、溶かしていく。(つづく)2020/12/16
たま
25
同じ著者の『評伝石牟礼道子 渚に立つひと』に続き2020年10月刊のこの本を読んだ。石牟礼道子と渡辺京二の交流に焦点を絞り、二人の文章を丹念に辿って、石牟礼の「もう一つのこの世」と渡辺の「ありえたかも知れない近代」が響き合うさまを描く。類い稀な資質に恵まれながら、女が新聞を読むことさえ疎まれるような環境に生い立った石牟礼さんだが、奇跡的にも渡辺氏という理解者、献身的伴走者に巡り合った。読みながら(コロナの時期なのでなおさらのこと)人と人が出会うことの不思議さ…大切さ、そして難しさを思わずにはいられない。2021/01/23
チェアー
12
二人は出会うべくして出会った。 出会わない人生は想定できないだろう。出会ってしまうと、めんどくさいし、大変だ。でもそれぞれは、相手を求めていた。だから書けたし、闘えた。渡辺さんの存在は石牟礼さんの言葉をより輝かせた。野に咲く花のような匂いを世界に広げた。 二人の関係は幸せとか、そういう枠では語れないのだと思う。出会ってしまった。ということだ。 2021/01/04
宮崎太郎(たろう屋)
2
50年以上、作家として、編集者として、水俣病闘争の中心として互いに関わり合ってきたお二人の友愛とも違う日々を取材と二人の書簡と日記から断片を切り取った。お二人の強い意志を書きとった物語だと思います。水俣病闘争とはまた違う二人の一面はとても奥深いものでした。2023/11/18