定家明月記私抄〈続篇〉

定家明月記私抄〈続篇〉

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  • サイズ B6判/ページ数 323p/高さ 21X14cm
  • 商品コード 9784103195115
  • NDC分類 915.4

内容説明

源平角逐の時代に青春を過ごした定家は、後半生でもまた、未曽有の乱世に身をおく。和歌を通じて交流をもつた源実朝の暗殺、歌壇のパトロンであり同時に最大のライヴァルでもあった後鳥羽院の、承久の乱による隠岐配流。宮廷文化の最後に大輪の花を開き、その終焉をも見とどけた定家とその時代を、厖大な日記「明月記」にたどる。

目次

公卿補任
遊芸人と天皇
天下ノ悪事、間断ナシ
明月記断続
拾遺愚草完成
源実朝
為家の結婚
定家、後鳥羽院の勅勘を蒙る
歌学から家学へ
承久の乱 政治と文学
京都頽廃 言語道断ノ事カ
眼前ニ公卿ヲ見ル
花と群盗
金銀錦繍ヲ着シ渡ル
前代ノ御製尤モ殊勝
凉秋九月、月方ニ幽ナリ
新勅撰集撰進
定家出家、法名明静
明月記、終〔ほか〕

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

tsu55

14
出世の遅れをなげいていた定家。五十歳にしてようやく正三位になるも、後鳥羽院に疎まれ蟄居を命じられていた為に、承久の乱に巻き込まれずに済む。乱では、多くの公卿が連座したた為、定家はとんとん拍子に昇進、「人臣ノ極位」である正二位まで昇りつめる。しかし、貴族から武士に実権が移るのに伴い、定家が拠り所としていた歌学を中心とした貴族文化は衰亡の一途を辿ることになる。歴史の大転換期を御子左家の家長としてなんとか乗り切ったのに、貴族文化の粋である歌学の衰亡を目の当たりにする事になるなんて、人生ってうまくいかないものだ2019/04/17

春ドーナツ

10
日本の歴史に関する本を読むたびに痛感するのは「言語の壁」である。当時、男性は漢文で書した。古典の素養がないものだから、ただただ紙面が漢字だらけで真っ黒だと思うのみ(ショボ目併発)。あはれなり。往時は歌集のアンソロジーを編むことが、時の政情も絡んできて、あまつさえ名誉欲に駆られた歌人や歌人もどきの私情も交錯し、たいへん厄介なものであったことを知る(果たして現在の歌壇はいかばかりか)。堀田さんは本書の執筆に8年の歳月を費やしたと言う。3台の書見台を駆使して、多方面睨めっこの日々。頭が下がります。2018/01/29

預かりマウス

1
本書は正編に続き、当時の歴史や文化だけではなく当時の人の精神状況を知るに適している。史書というよりは精神史の本と言ったほうがよいかもしれない。定家は当時にしては珍しく長寿で、七十代まで日記を書いている。三十代の頃は自らを老残と称して様々の病苦に悩まされている様子を記しているが、実際に年老いてからは随分と世間のゴシップの類を詳しく書くようになっていて、そのあたりの心境の変化が面白いと思った。また、承久の乱後の京洛の荒廃の有様もよくわかる。2019/04/07

wasuregai

1
明月記に即して定家の生涯を追う。ここでは「歌人としての定家」ではなく、平安末期から鎌倉初期を逞しく生き抜いた人間定家の姿がある。その姿を追うことで、逆に新古今時代の和歌の非現実さ加減もよくわかるし、あのような歌になっていかざるを得ないのも納得。人間も文学も時代と共にあるものだということをつくづく実感。2010/06/15

kinaba

0
まったく無知なもので、百人一首っていつ出てくるんだろう…と思いながら読んでいたら最後まで到達。あれって定家本人の言及はほとんど残っていないんですね、知りませんでした…という具合の知識でも、とても興味深く読めました。新古今の頃と、鎌倉幕府ができて源氏三代で途絶えていく血の香る頃の、二つの面の重なりが克明に触れられています。2012/08/07

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